聞こうという気持ち

「お話しください。
しもべは聞いております。」
(サムエルⅠ3:10)
 
人間の耳って
とっても高性能です。
 
たくさんの音がしていても、
その中から自分が聞きたい音だけが
聞こえるようにできます。
 
器械にはそんな芸当できないから、
耳が不自由になって
補聴器を使うようになった人が
「雑音まで全部大きくなってしまうから
うるさくてしかたがない」
って言ってるのをよく聞きます。
 
自分にとって必要ないと思う音は
聞き流せる。
いろんな音がそこら中にあふれている今、
これはありがたいスペックですね。
 
でも、気をつけておきたいことは、
聞いておいた方がいいことまで
聞き流してしまわないように、
ってこと。
 
神さまはいつも私たちに
いろんなことを語っておられます。
 
それは、教会に来ている時や
聖書を読んでいる時だけじゃありません。
毎日の生活の中にも
神さまの声は満ちています。
 
でも、絶対に大声は出しません。
神さまは決して押しつけない方だから。
 
だから聞くためには、
「聞こう」という心が不可欠。
 
「お話しください。聞いております。」
このお祈りは、
私たちの歩みを確かにして守ってくれます。

心をご存知の方

「しかし神は、
あなたがたの心をご存じです。」
(ルカ16:15)
 
教室でも部室でも教会堂でもいいんだけれど、
みんなで使う部屋のお掃除を
頼まれたとしましょう。
 
だれかが見ていたらちゃんとやるけれど、
だれも見ていなかったらやる気が出なくて
適当にやって終わったことにする、
なんてこと、ありますか?
 
自分の行動を
人が見ているかどうか、
人が評価してくれるかどうかで変える。
 
それは「人の目」「自分が人からどう思われるか」
を気にしているし、
よく見られたいと思っている
ということでしょう。
 
でも人は、
ほんとうに見えるところしか
見ていません。
 
ほめられたとしても
有頂天になってはいけないし、
けなされたとしても、
そんなに落ち込む必要はないのです。
 
それよりも、
心をご存じの方がいらっしゃるということを
いつも忘れないようにしましょう。
 
この方はほんとうの私を
心の底まで全部知っておられます。
人の評価が高いか低いかは
まったく関係ありません。
 
全部知っていて
うわべの行動にはそれにふさわしく、
心をこめた行動にはそれにふさわしく、
ちゃんと報いられるのです。
 
 

先はひろびろ

「努力して狭い門から入りなさい。」
(ルカ13:24)
 
狭い門、と聞くと、
ほらね、だから神さまって窮屈じゃん、
と思う人がいます。
 
だからいやだし、ムリ。
 
でも、ちょっと待ってください。
「門」なんです。
門は入り口にあって、
中に入るために通過するもの。
ずーっと門のところに立ち止まる、
なんてしませんよね。
 
この門が通じているのは
広々として豊かな神さまの国。
 
入ってしまえばそこは、
狭いどころか、
かえって、門のこちら側より
ずっと広々としていて、ずっと自由。
 
じゃあ、狭い門て
どういうこと?
なにがどう狭いの?
 
それは、その国の入り口が
「イエスさまというお方だけ」
という意味です。
 
そこに入りたかったら
ほかの入り口はない。
イエスさまと十字架を信じる
っていうたった一つの道しかないんだよ。
 
そういう意味で
「狭い門」なのです。
でも、そこを通るために、
どんな努力も払う価値がある門です。
 
 

平和をくださる

「主よ。あなたは、私たちのために
平和を備えておられます。」
(イザヤ26:12)
 
平和の反対は
「戦争」だけではありません。
 
いつでもぶつかってしまう「だれか」。
どうしてもわだかまりが取れない
「だれか」。
 
自分の心の中に起こる
ザワザワや葛藤…。
 
私たちの平和を乱すものは
毎日の生活のそこここに満ちています。
 
平和がないところでは
エネルギーがうばわれるし、
くだびれますね。
 
みんながあったらいいなと
思っているのに
なかなか実現しない平和。
 
実はそれは、神さまに与えてもらって
手に入るもの。
 
ほんとうの平和、それは、
神さまが治めるところにだけ
実現するものなのです。
 
だれかとの関係も、
心の中のいろんな葛藤も、
神さまが治めて収められないものは
ありません。
 
私たちにくださるために、
神さま準備はもうすっかりできています。
 
あとは、私たちがお願いするだけ。
ついでに、じゃなく、真剣に。
必ず与えてくださいます。