内側からいっぱいに

「この水を飲む人はみな、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む人は、
いつまでも決して渇くことがありません。」
(ヨハネ4:13,14
 
 
 
私たちにとってなくてはならない水。
水がないということは、
私たちの命にもかかわる大問題です。
 
 
 
のどが渇いたときに飲む水のおいしさは格別。
特別な飲み物じゃなくただの水でも、
「あ〜〜、おいしい!」
っていうことばが自然に出てきますね。
 
 
 
水分は気がつかないうちに不足することもあって、
これからの季節は熱中症の危険が。
「こまめに水分を」
自分は関係ないと思わず気をつけましょう。
 
 
 
わたしがあげる水を飲まないと、
心も渇くんだよ。
とイエスさまは言いました。
 
 
 
イエスさまがくれる水を飲む。
それは、イエスさまを自分の救い主
って信じること。
 
 
 
イエスさまを信じない心は、
穴があいたバケツみたい。
なんか満たしてくれるもの、って
外からいろいろさがしてきてどれだけ入れても、
またからっぽになってしまいます。
 
 
 
わたしを救い主、って信じれば
わたしが心の穴をふさいで内側から満たしてあげる。
それがイエスさまのことばです。
 
 
 
もう満たしてくれるものを
必死で外にさがしに行かなくていい。
内側にいるわたしに求めればいいんだよ。
 
 
 
わたしが満たしてあげる。
このイエスさまのことばをほんとうに信じるなら、
だれでも満たしてもらうことができます。
 
 
 
満たされている=楽しい
ではないよね。念のため。

勇気を出して!

「あなたがたは勇気を出しなさい。
力を落としてはなりません。
あなたがたの働きには報いがあるからです。」
(Ⅱ歴代15:7)


神さまにしたがって
これからもクリスチャンとして生きる。
それがいちばん、てわかってるし、
そうしていけたらと思うけどちょっと心配


この世の楽しみを楽しめなくなる?
毎週ずっと教会なんて、続けていける?
みんなとちがう変な人と思われるかもしれない?


アサ王さまも同じような心配をしてました。
神さまに本気出して従って大丈夫かな?
みんなが引いちゃうんじゃないの?
そんな王さまを預言者が励ましたのが
今日のみことば。


ほんとに心を決めてやったら
ぜったいにだいじょうぶだよ。
だから勇気を出して!


どうしてだいじょうぶって言えるの?
それは神さまが、私たちがほんとに心を決めたら
必ず応えてくれる方だから。


神さまの恵みはほしいけど、
そこまでちゃんとしなくても、
この世の楽しみも味わいたいよね。
そう思って両方手に入れようとするのは、
片足を陸地、片足をボートに乗せて
立っていようとするみたいなもの。


グラグラしてものすごく不安定。
そして、立ってるためには変な力がいるから
ものすごく疲れます。
結局水に落ちちゃうことになる可能性も大。


勇気を出して実行した王さま。
人が離れて行くどころか、たくさん集まってきた。
神さまがいっしょにいるのがわかったから。

って書いてあります。


本気の信仰に神さまは答えてくれる。
そして、それはやがて必ずまわりの人にも
伝わっていくのです。
 

ほんとうに助けてくれる

「力の強い者を助けるのも、
力のない者を助けるのも、
あなたには変わりはありません。」
(Ⅱ歴代14:11


野球、サッカー、バスケ、バレー、ラグビー
チームで戦うプロスポーツには
ほぼたいてい外国人が混じっています。
助っ人です。


呼ばれてくる助っ人たちはみんな、
体格とか筋肉のつき方とか、
日本人にはないものを持っていて、
見るからに強そう。


でもその助っ人がいたら
チームも必ず勝つかというと
そうではありません。


助っ人はチームにしか呼べないけど、
チーム戦は一人だけ強い人がいても勝てない。
そこがチーム戦のおもしろいところでもあるけど、
やっぱりそのチームがもともと持っている力が
大きく関係します。


ところが同じ助っ人でも、
神さまが助けてくれるというときには、
助けてもらう方が強いか弱いかは関係ない、
っていうんです。
どういうこと?


神さまはどんなことでも助けることができます。
そして神さまが助けてくれたら
必ず勝つことができます。
でも、それが何のためか、
っていうことがとても大切。


もし自分(たち)がほめられたいから、
人を支配したいから、というためだったら
求めても与えられないでしょう。
神さまの助けがかえって害になってしまいます。


でも、そのことによって
神さまがほめたたえられるなら、
そして心から信じて求めるなら、
神さまは私たちが持っている力がどんなに小さくても
そんなことには関係なく助けることができます。


ほんとうに助けてくれるのです。