ピッときちゃった?

「主が来られるまでは、何についても
先走ってさばいてはいけません。」
(Ⅰコリント4:5
 
 
 
先走る…
そういうことをしたらどうなるか。
あとのことをよく考えないで、
ピッと来た、カーッとなった、みたいな
直感や感情にまかせて行動してしまうこと。
 
 
 
そんなふうに先走って何かをしたとき、
結果がよくなることはあまりありません。
もっとよく考えればよかった、
っていうことの方が多いでしょう。
 
 
 
特に「さばき」については気をつけてね、
と今日のみことばは言っています。
 
 
 
さばきというのは、
人に対して“まちがっている”
という評価をくだすこと。
 
 
 
私たちは人のちょっとした言葉や行動を見て、
それが自分のものさしに合わなければ、
簡単にマイナス評価をくだしてしまいがち。
 
 
 
でもその評価はあってないこともしばしば。
なぜでしょうか。
それは全体をちゃんと見て判断していないから。
私たちが見たり聞いたりしたと思っていることは、
ほんの一部分にすぎないことが多いからです。
 
 
 
こんなたとえ、聞いたことがあるでしょうか。
ゾウってどんな動物?って聞かれた
目が不自由な人たちの話です。
 
 
 
一人の人は耳をさわって
「ゾウはぺらぺらしたもの」と言いました。
別の人は鼻をさわって「管みたい」と言いました。
3番目の人は足をさわって「柱みたい」と言いました。
もう一人の人はお腹をさわって
「ザラザラした壁みたい」と言いました。
 
 
 
どれもまちがってはいないけど、
一部分だったね、っていうたとえです。
 
 
 
全部見えているのは神さまだけ。
だから、ほんとうにさば資格があるのも
神さまだけ。
そのことを心に刻んで、
神さまより先走ってだれかをさばいてしまうことから
守ってもらいましょう。

何でもモリモリ

「私はあなたがたには乳を飲ませ、
固い食物を与えませんでした。」
(Ⅰコリント3:2
 
 
 
イギリスのキャサリン妃に
3人目の男の赤ちゃんが生まれたそうです。
赤ちゃん誕生は、とてもうれしいニュースですね。
 
 
 
生まれたばかりの赤ちゃんは、
自分では何もできないけれど、
1つだけ、大人より上手にできることが。
それはお乳を飲むこと。
無心にお乳を飲んでいる赤ちゃんは、
ほんとにかわいいです♡
 
 
 
だけど、1年たっても2年たってもお乳だけ、
っていったらどうでしょう。
何か病気なのかな?
って心配になってしまいます。
 
 
 
あったかくってちょっと甘くて、
かまなくてもそのまま飲みこめるお乳は、
いつも抱っこしてもらってひたすら守ってもらう
赤ちゃんにとってはじゅうぶん。
 
 
 
でも、自分の足で立ち上がって
歩いたり走ったりするのに必要な筋肉や、
いろんな環境に負けない抵抗力をつけるには、
固い食べ物が必要です。
 
 
 
何でもモリモリ食べられるのは
元気の証拠。
 
 
 
私たちの心や信仰も同じかなと思います。
いつまでもだれかに守ってもらい、
あったかくってあまくって、
そのまま飲みこめるものを用意してもらわないと
生きていけないというのでは、
いちばんつらい思いをするのは自分自身。
 
 
 
固い言葉や環境もかみ砕いて飲みこんで
自分の力で消化していけるようになるためには、
「いやだ」って言ってもいいんだけど、
そこで終わりにしないで、
考えたりお祈りしたりしてみること。
神さま、これってどういうことですか?
 
 
 
その時すぐに答えが出なくても、
それは必ず私たちの血となり肉となっていきます。
神さまがそうしてくれるのです。

そんな手があったとは!

「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
人の心に思い浮かんだことがないものを、
神は、神を愛する者たちに備えてくださった。」
(Ⅰコリント2:9
 
 
 
友だちや同僚、地域の人たちなんかの
考え方や意見を聞いて、
へーえ、そんなふうに考える人もいるんだ、
っておどろいたこと、ありますか?
 
 
 
自分だったらそういう答えは
絶対に思いつきもしない。
というようなことを言う人、
いますよね。
 
 
 
思わず目が点になることもあるけど、
世の中にはほんとにいろんな人がいて
びっくりします。
 
 
 
でもそれがいい方向に働けば、
自分では思いつかなかった問題の解決方法が
見つかることもあるから、
それで助かる、っていう可能性も。
 
 
 
こういう時はこう、と決めて、
自分以外の考え方を排除してしまうと
とても狭くなってしまうから、
そういうふうに思う人もいるんだね。
って取りあえず受けとめる。
けっこう大事なことだと思います。
 
 
 
神さまが私たちのために働いてくれる、
というときにも、
私たちが思いつきもしない方法で。
ということがあります。
 
 
 
神さまのレパートリーは
めちゃめちゃ広いんです。
えっ、そんな手があったとは!
ってびっくりすることも。
 
 
 
働いてくれるっていうのはこういうこと。
って決めちゃわないで、
自分に起こっていることを取りあえず受けとめ、
いろんな方向から見てみる。
 
 
 
そうすると、
あれ、神さまはちゃんと働いてたんだなー
自分にとってはこれでよかったんだなー、
ということが見えてくるかもしれません。
 
 
 
神さまがすることは
いつでも私たちがよくなるように、
っていう方向を目ざしてるんですから。

ほんとにかしこいね

「神の知恵により、
この世は自分の知恵によって
神を知ることがありませんでした。
それゆえ神は、
宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救うことにされたのです。」
(Ⅰコリント1:21



最近、ある県の知事さんが
女性問題が原因で辞職することになった
というニュースがありました。


SNS
で知り合った複数の女性にお金を渡して
関係を持っていたんだって(-“-)


記者会見で「お金を渡して関係を持つ
ってどうなんですか」と質問された
知事さんの答えは「好かれたかったから」
・・・・?!( Д)


いやいやいや、
確かにお金を渡したら喜ぶ人はいるでしょう。
そういう人も多いかも。
でも、お金を渡したから好きになる
って、ある?


もしそれで「好き」
って言う人がいたとしても、
それはほんとの好きではないね。断じて。


ご本人的にはがんばったんでしょうが、
それはちがうだろう、
っていう方法でいくらがんばっても、
望んでいるものを手に入れることはできません。


神さまの救い(罪の解決)は、
「イエスさまが自分の代わりに
十字架にかかってくれたと信じる」
ことによってだけ得ることができるもの。


ほかの方法でがんばるのは、
お金を渡して愛してもらおうとするくらい、
それはありえない。なことなんだね。


だけど、信じさえすれば
だれでも手に入れられて、
「それはできない」っていう人は
だれもいない方法。
だから私たちももらうことができました。


すべての人にこれほど平等な方法は
ほかにはどこにもないんだよ。
神さまって、ほんとにかしこいね。


パウロ先生はそう言っているのです。