なるんじゃなくて、してもらう

「神のみこころは、
あなたがたが
聖なる者となることです。」
(Ⅰテサロニケ4:3
 
 
 
「聖人君子」
ということばがあります。
要するに、頭も性格もよくて、
だれからも非難されるようなところがない
立派な人のこと。
 
 
 
 
じゃあ、具体的にだれ?
と聞かれると、うーん、
なかなか思い浮かばない。
どっちかというと、現実より理想に思える
話かもしれません。
 
 
 
 神さまのみこころは
私たちが聖なる者となること。
と聞いて、
そういう人になれと言っている
と思い込んでいることは
ないでしょうか?
 
 
 
聖なる者。
そんな立派な人になれなんて、
神さまって
ずいぶん無茶な要求をするよね。
ハードル高すぎでしょ。
 
 
 
もちろん、そうなろうとすることは
悪いことではない。
でも聖書が聖なる者と言っているのは、
そんなふうに立派かどうかとは
関係のないこと。
 
 
 
聖なる者っていうのはつまり、
罪と無関係な人。
ということです。
 
 
 
罪からちゃんと離れている。
その納得があると、
私たちは落ちついて過ごせる。
 
 
 
だから私たちのために
神さまがそうできる道を
準備してくれました。
 
 
 
私たちががんばってなるのではなく、
神さまが私たちを
そうしてくれるのです。

クリスチャンなら楽勝?

「また、工事する者に
支払うように金を渡した人々が
精算を求められることはなかった。
彼らが忠実に
働いていたからである。」
(Ⅱ列王12:15)
 
 
 
みんながよく知っている
ザアカイ。
税金1000円のところ
「1200円ですよ」と取り立て、
差の200円は自分の財布に。
 
 
 
本当は出張してないけど、
出張したことにして
本当は注文してないけど
注文したことにして経費を請求する
架空請求。
 
 
 
たくさんのもうけを隠して
税金を払わない脱税。
 
 
 
この世の中には、
「ごまかし」が
いたるところに。
自分が得するようにごまかしたい。
その誘いは魔力があるんだね。
 
 
 
だから、そういうごまかしや
ずるがないように、
報告や調査(監査)を
するのが常識です。
 
 
 
でもこの人たちは、
そういう報告や調査は必要なかった。
ごまかさない。
ってわかっていたからです。
 
 
 
この人はごまかさない
っていう信用。
これって、人として最高。
 
 
 
だけどクリスチャンなら
これって楽勝。
だって、神さまが見てる
って知ってるもんね。
 
 
 
今週もごまかしなく
まっすぐに。
神さまが助けてくれます。

必ずあるはず あるよね?

「ことばであれ行いであれ、
何かをするときには、
主イエスによって父なる神に感謝し、
すべてを主イエスの名において
行いなさい。」
(コロサイ3:17)
 
 
 
感謝を忘れてはいけません。
よく言われることばです。
 
 
 
もちろんことばの意味はよくわかる。
でも現実には感謝なんかできないことだって
たくさんある。
というのが実感かもしれません。
 
 
 
ところで「感謝」と聞いて、
私たちはそれがどんなことだと
思っているでしょうか。
 
 
 
自分がうれしいと思うかどうか。
をものさしにしていることが
多いかもしれないなーと思います。
 
 
 
うれしいと感じたら感謝する?
だけどそうなると、
感謝の機会はぐっと減ってしまうかも。
なぜって、私たちのうれしいは、
まことに自分目線だから。
 
 
 
感謝のキーワードは
「主イエスによって」。
私たちのいのちと永遠は
イエスさまがしてくれたことの上に
成り立っている。っていうこと。
 
 
 
どんなに“うれしい”人生を
過ごしたとしても、
イエスさまを抜きにしたら、
最後は全部パーになる。
 
 
 
何を感謝できなかったとしても、
罪をゆるして
永遠のいのちを与えてくれた。
この感謝は必ずあるはず。
あるよね?
 
 
 
この感謝をとにかく
“がんばって”でも思い出すようにする。
それがほかの全部の感謝のもと。
私たちを感謝できる人にしてくれます。

やってみない手はない

「あの人は
『身を洗ってきよくなりなさい』
と言っただけではありませんか。」
(Ⅱ列王5:13)
 
 
 
けんかした友だちと仲直りしたい。
でも、自分からはあやまりたくない。
 
 
 
そこにいたる方法やプロセスが
いやだから、
結果はほしいけど、
よくないと思いつつそのままにしてしまう。
けっこうあるかもしれません。
 
 
 
それは、
仲直りしたいという気持ちと
あやまりたくないという気持ち、
この二つを比べて、
あやまらないという方を
自分で選び取ってしまう
ということ。
 
 
 
どっちがいいかを考えたら
仲直りした方がいいに決まっている。
それはじゅうぶんわかっている。
 
 
 
わからないから
よくない方を選ぶっていうわけじゃなく、
わかっていても
よい方を選べない、選びたくない
ということがありますね。
 
 
 
だけどそれは私たちにとって
ものすごい損。
 
 
 
ナアマンは、
言われた方法が気に入らないから
そのまま帰ろうとしました。
 
 
 
神さまの方法が気に入らない。
それで、もらえるはずのものを
もらわないままにしているなら、
そんなもったいないことはありません。
 
 
 
わかりました。信じます。
私たちがしなさいと言われているのは
たったのこれだけ。
 
 
 
やってみない
という手はありません。 

ぜんぶチャラに

「様々な規定で
私たちを責め立てている
債務証書を無効にし、
それを十字架に釘付けにして
取り除いてくださいました。」
(コロサイ2:14)
 
 
 
アイフル、プロミス、アコム・・・
CMもかなりやってるから、
中身をよく知らなくても聞いたことある、
という人が多いと思います。
 
 
 
これはみんなカードローン。
名前もおしゃれにして、
すぐには何だかわからないように
してるけど、
要するに借金のこと。
 
 
 
だれでも簡単に借りられるよ~♪
っていうのが決まり文句。
だけどいったん借りてしまったら
返すのはめちゃめちゃ大変だから、
マジで要注意。
 
 
 
返せなくて結局破産、
なんていう話もよく聞きます。
軽い気持ちで借りるより、
今がまんした方がずっと楽。
これ、ぜったいの基本です。
 
 
 
債務証書は借金がある証拠。
これがあるかぎり、
最後の1円を返すまで
どこまでもどこまでも追いかけられます。
 
 
 
私たちの罪も債務証書みたい。
どこまでもどこまでも
追いかけてきて、
責め立てます。
自分の力で逃げ切ることはできません。
 
 
 
イエスさまがしてくれたのは
それを全部無効にしてくれた。
っていうすごいこと。
イエスさまの十字架を信じているかぎり、
私たちはもう責められなくてすむ。
自由だというのです。
 
 
 
一生かかっても返せない借金を
チャラにしてもらった。
ほんとにものすごいことなのです。