わかっているから

「主は私を、
どんな悪しきわざからも救い出し、
無事、天にある御国に
入れてくださいます。」
(Ⅱテモテ4:18)
 
 
 
 
映画やドラマには、
途中必ずと言っていいほど
えー、そうなっちゃう?
っていうハラハラドキドキの展開が
はさまってきます。
 
 
 
これさえ成功すればという作戦に
ちょっとした手違いがあって、
やられてしまいそうになる、とか、
いい雰囲気だった二人に
ちょっとした行き違いや誤解が生まれて
うまくいかなくなりそう、とか。
 
 
 
「うわぁ、この後どうなちゃうの?!」
とドキドキして、
早く先が見たい!と思ってしまいます。
 
 
 
 
でも、心底心配していることは
あまりないんじゃないでしょうか。
 
 
 
なぜって、映画やドラマだったら、
最後は落ち着くべきところに落ち着く、
とどこかでわかっているからです。
 
 
 
 
私たちの日々の生活は、
うれしいと思うこと、
楽しいと思うことばかりではありません。
 
 
 
どうなっちゃうんだろう、
と思うこともあるでしょう。
 
 
 
でも神さまは、
私たちを必ず無事に
天の御国に入れてくださる
と書いてあります。
 
 
 
最後はちゃんと決着すると
わかっているのです。
 
 
 
だから私たちは、
少しハラハラすることがあっても、
心の底まで揺り動かされないで
歩んでいくことができるのです。

チェックされなくても

「彼らの手に渡した金の精算が
なされる必要はない。
彼らは忠実に働いているからである。」
(Ⅱ列王22:7)
 
 
 
横領という言葉を知っていますか?
 
 
 
会社やお役所でお金を扱う仕事を
任されている人が、
実は使っていないお金を
仕事で使ったように見せかけて、
自分のふところに入れることです。
 
 
 
もちろん立派な犯罪で、
バレれば逮捕されます。
 
 
 
ちょっとくらい、と思って
始めたのを繰り返しているうちに、
積み重なるんでしょうか、
時には何億円という金額が
だまし取られたというニュースを聞きます。
 
 
 
何億円もなくなってるのに気づかない、
というのがまずビックリだけど、
一人で大きいお金を動かせるとなると、
他の人は知らない、だれも見ていない
っていうことが、
誘惑になるんですね。
 
 
 
それを防止するためには、
チェック機能をきちんとすること、
とよく言われています。
 
 
 
でもこの時神殿の修理工事をしていた
人たちは、
チェックされる必要がありませんでした。
チェックしなくても
ごまかしたりズルをしたりしない、
とわかっていたからです。
 
 
 
私たちが一番身近にできる証しは、
この「忠実さ」「真実さ」ではないでしょうか。
私たちは、人が見ていなくても
神さまが見ていることを知っているからです。
 
 
 
だれも見ていなくても真実であること、
それは、この世の中でも立派に通用する
証しです。
 

正体を知ったら

「神は祝福に満ちた唯一の主権者、
王の王、主の主、
ただひとり死のない方であり、
近づくこともできない光の中に住まわれ、
人間がだれひとり見たことのない、
また見ることのできない方です。」
テモテ6:15,16)
 
 
 
前にも書いたことがあるテレビの時代劇
「水戸黄門」
 
 
 
ほんとうはものすごい地位にいる人なんだけど、
「越後のちりめん問屋」という
一般人として旅をして歩きます。
 
 
 
旅先で出会う人たちは、
黄門様を親切な普通のおじいさんだと思って
ただの人として接します。
 
 
 
そして最後に
水門家のえらい人だと知ってびっくり仰天。
「はは~~っ!」とひれ伏して、
「知らないこととは言え、
まことに申し訳ございません!」
と言うのです。
 
 
 
 
私たちがやがて神さまに
直接お会いするときの驚きは、
ちりめん問屋の正体がわかった時の驚き
どころの騒ぎじゃないのではと思います。
 
 
 
私たちは神さまを
どんな方と思っているでしょうか。
どんな存在として扱っていますか。
 
 
 
神さまは実は、
私たちが今思っているよりも
はるかにはるかにすごくて偉大なお方。
 
 
 
今「なんだよケチ」とか、
「ホントに愛なの?」「ほんとにできるの?」
とか言って、たくさんいる神さまのひとり扱い
していたら、大赤っ恥。
「知らなかったこととは言え…」と
大あわてで隠れる穴を探したくなることでしょう。
(神さまから隠れられる穴なんてないけど)
 
 
 
少しでもふさわしく
接することができる私たちになれたら
と思います。

見えないところこそ

「漆喰で上塗りをする者どもに言え。
それははがれ落ちる、と。」
(エゼキエル13:11)
 
 
 
あちらこちらの家で
足場がかかって、
壁の塗り直しをしているのを見かけます。
 
 
 
おうちが長持ちするためには、
メンテナンスが大切。
塗り直しも、
メンテナンスの重要ポイントです。
 
 
 
とにかく上から塗ればいいのでは?
と思ってしまいがちですが、
上から塗るのは実は最終ステップ。
 
 
 
まず初めに、
もともと塗ってあったペンキの残りと、
サビを落とす。
ここから作業は始まります。
 
 
 
この作業をめんどくさがって、
手抜きをしたりして
「上塗り」してしまうと、
結局またすぐにはがれてきてしまうのです。
 
 
 
私たちの心も同じ。
やばいものは、上からかぶせて
何とかきれいに見せようと
したくなってしまうけど、
そこをはぶいてただ上塗りしてしまうと、
少し時間がたてば、
すぐにまたはがれてボロが出てしまいます。
 
 
 
はがれているところ、
サビが出ているところ、
それは手抜きせず
神さまにちゃんと取り除いてもらいましょう。
 
 
 
それが気持ちよく
ちゃんと長持ちする秘訣です。

いつもどおりで

「霊によってであれ、
ことばによってであれ、
私たちから出たかのような
手紙によってであれ、
主の日がすでに来たかのように
言われるのを聞いても、
すぐに落ち着きを失ったり、
心を騒がせたりしないでください。」
(Ⅱテサロニケ2:2)
 
 
 
学校や会社に
「爆弾をしかけた」
っていう電話がかかってきたら、
どうなるでしょうか。
 
 
 
そこの生徒や社員はもちろん、
家族やまわりに住んでいる人も、
びっくりしてそわそわドキドキ。
おまわりさんがやってきて、
大さわぎになるでしょう。
 
 
 
すみずみまで調べて、
何もなかったとわかったら、
やっとホッと一安心。
 
 
 
では、大地震や火山の噴火、地球滅亡(!?)
そして聖書に書いてある再臨。
のような、うわさがあっても、
今調べてもわからないことは
どうしましょうか。
 
 
 
それは明日かもしれないけど
ずっと先のことかもしれない。
 
 
 
でもどんなに調べても、
「これでもうだいじょうぶです」
と保証することはだれにもできません。
 
 
 
でも、心配してオロオロしたり、
そわそわドキドキしなくてもだいじょうぶ、
と聖書は言っています。
 
 
 
なによりの準備は
神さまをちゃんと信じていること。
 
 
 
それさえ確かなら、
たとえそれがほんとうに明日だとしても、
あわてることなく、
今日もいつもの通りに
過ごすことができるのです。
 
 
 
過ごしてだいじょうぶなのです。