二度目があるから

「キリストも、
多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、
二度目には、罪を負うためではなく、
ご自分を待ち望んでいる人々の
救いのために現れてくださいます。」
(ヘブル9:28
 
 
 
イエスさまの一度目、二度目。
なんのことだかわかりますか?
 
 
 
一度目は、
クリスマスに人となって
生まれてきてくれたこと。
ご自分を献げ、というのは、
十字架にかかって死んでくれたことですね。
 
 
 
二度目は、
教会ではふつう「再臨」と呼んでいること。
イエスさまがもう一度
この地上に来るときのことです。
 
 
 
それは今はまだ起こってないんだけど、
これから起こる
いつかはわからないけれど、必ず起こる
って聖書に書いてあること。
 
 
 
今私たちが生きている地上の生活では、
どうしてこんなことが起こるの?
と思うようなことがたくさんあります。
 
 
 
真面目に生きている人が
大変な目にあったり、損をしたり。
ずるいことをしている人、
好き勝手にやっている人が
楽々生きて、
お金や地位や名誉を手に入れたり。
 
 
 
でもその時には、
そういうこと全部をイエスさまが
スッキリさっぱり解決してくれます。
 
 
 
イエスさまを信じて
真面目に生きている人たちが
つらい思い、悲しい思い、苦しい思いを
もう二度としなくていいようにしてくれる。
それが、イエスさまが二度目に来るとき。
 
 
 
だから今日も今いる場所で、
今しなければならないことを
真面目にやりましょう。
神さまはちゃんと見ていてくれます。

人が出てきたらそこで

「あの人たちは
あなたがたに対して熱心ですが、
それは善意からではありません。
彼らはあなたがたを私から引き離して、
自分たちに熱心にならせようと
しているのです。」
(ガラテヤ4:17
 
 
 
今、世の中には“カルト”と言われる
宗教がたくさんあります。
極端な(特に危険な、または反社会的な)
思想を持っている教えのことです。
 
 
 
そういう集団がたくさんあって、
実際にいろんな事件も起きているので、
「宗教」と聞くだけで、
「こわい、危ない」というイメージが広まって、
教会の働きも
とてもやりにくくなってしまっています。
 
 
 
クリスチャンであっても、
学校や会社で勧誘活動が行われていますから、
取り込まれてしまう危険がないとは言えません。
どうやって見わければいいんでしょうか?
 
 
 
そのヒントが今日のみことばにあります。
ポイントは
「自分たちに熱心にならせようとして」
というところ。
 
 
 
カルトにはほぼ必ず
教祖と言われる“人間”がいます。
その教祖の言うことを
熱狂的に崇拝し、礼賛する。
 
 
 
教祖の言うことはぜったいで、
お金のことも、性的な関係のことも、
たとえ殺人でも、命令とあらば実行する。
それが祝福であると教えます。
 
 
 
でも、たとえどんなに優秀な人であっても、
人は人。
人が出てきた時点で、
疑ってほぼまちがいなし。
 
 
 
目に見える人の方がわかりやすいから、
そちらに頼りたくなってしまう。
それが私たちの弱さだけれど、
だれか、じゃなくて、神さまなんだ。
それを今日もしっかり心に刻みましょう。