あっちもこっちも立てるたった一つの方法
「それでは、私たちは信仰によって
律法を無効にすることに
なるのでしょうか。
決してそんなことはありません。
むしろ、
律法を確立することになります。」
(ローマ3:31)
人が動かなければ
コロナは収まるけど経済は大変。
でも人が動けば
経済は動くけど、コロナも広まる。
今回のコロナでつきつけられる
“どっちを取る”問題。
しばらく前に書いた
マスクと熱中症もそうだし、
この感染予防と経済の問題もそうです。
あっちを立てればこっちが立たない。
ってほんとに困っちゃう。
両方がなんとか立つポイントはどこなのか。
そこを見つけるのが
いちばんの課題とも言えるでしょう。
律法と信仰の二つも
あっちを立てればこっちが立たないように見える。
恵みによる信仰が大事なんだから、
律法なんてどうでもいいでしょ。
もういらないでしょと考える人がいるけど、
それはちがうんだなー。
律法は今もちゃんとあって罪は処罰される。
でも律法をちゃんと守ろうと、
私たちがどんなにがんばっても、
完ぺきに守ることなんてぜったい無理。
えー、じゃあどうするの?!
っていうこの問題に
たった一つだけ両立ポイントがありました。
それがイエスさまの十字架。
イエスさまは十字架によって
律法を完ぺきにクリアしてくれました。
そして信じる人も完ぺきにクリアした
と認めてくれる。
っていうんだからおどろき。
両方がちゃんと成立するたった一つの方法。
私たちは受け取りさえすれば
いいっていうんだから、
ほんとにありがたいことですね。
ストレートにそのままを見て
「善を行うすべての者には、
ユダヤ人をはじめギリシア人にも、
栄光と誉れと平和が与えられます。
神にはえこひいきがないからです。」
(ローマ2:10,11)
総理大臣が急に辞任することになって
次の総裁を決める選挙が
行われているけど、
なんだか、
やる前から結果はわかってるんでしょ?
っていう感じです。
派閥がある候補者を推すと決めれば、
その派閥の人数がそのまま
その候補者の得票数になる。
だから勝つのはこの候補者・・・
でもいくら同じ派閥だって言っても
何十人もいる人たちが
全員同じ候補がいいと思うことなんて
ほんとにあるの?
結局、だれの主張が本当に正しいか、
だれの政策が国のために必要か、
っていうことよりも
だれの味方をしておけば
自分が得なのか。なんだね。
…に見えて、なんだかしらける。
人間の判断は、どうしても
自分の好みや自分の損得に
左右されてしまいます。
それがまた新たな問題のもとに
なってしまうこともしばしば。
でも神さまはちがいます。
神さまにはえこひいきがない。
=完ぺきに公正な目で
一人ひとりを見てくれている。
正しいのはこっちだけど、
今回はいろんな都合で
あっち、ってことにしておく。
なんてことはぜったいにありません。
ストレートにそのままを見て、
ちゃんとふさわしく報いてくれる。
今週もちゃんと見ていてくれます。
まじで気をつけたいかん違い
「あなたの行く道すべてにおいて
主を知れ。…
自分を知恵のある者と考えるな。
主を恐れ、悪から遠ざかれ。」
(箴言3:6,7)
自分はモテる。人気がある。
自分は仕事がデキる。わかっている。
そう思いこんで、何かというと
自慢話や自分アピールしてくる
かん違いさん・・・
まわりの人たちはかなり迷惑してても
本人はまったく気づかず
やめる気配もない・・・💦
その自信は一体どこから?
ってふしぎになるくらい。
苦笑くらいですめばいいけど、
ドン引きされた上に
最後はあわれまれちゃう。
そんなかん違い人間には
ならないようにしたいなーと思います。
かん違いにもいろいろあるけど、
ここに書いてあるのもその一つ。
大多数の人があたり前と思ってるけど、
実は絶対もってちゃいけない最大のかん違い。
どんなかん違いかというと、
「自分を知恵のある者と思う」
=自分は神さまがいなくてもだいじょうぶ。
やっていける。と思うこと。
そのままいったらどうなるか
ほんとにわかって言ってます?
自分の罪の責任を自分で取る。
っていうことですよ?
神さまがいなくてだいじょうぶな人なんて
一人もいないのです。
まわりの人に失笑されるくらいでは
すまないとんでもないかん違いなのです。
このかん違いだけはしないように、
まじで気をつけましょう。