誇りを持っているほど自然なこと

「わたしはあなたがたの神、
主である。」
(レビ19:3,4,10,12…
 
 
 
しばらく前のことだけど、
アメフトの試合でやってはいけない反則が
あったということで、
チームそのものがかなり長い期間
試合に出られなくなってしまいました。
 
 
 
こういう話は
野球やサッカーなど、
ほかのスポーツでもけっこう聞きますね。
 
 
 
とばっちりを受ける
他のメンバーにとっては、
それまでの努力を発揮する場がなくなってしまって
ほんとに悔しいことでしょう。
 
 
 
チームに属しているメンバーは、
一人ひとり個人だけれど、
その行動の結果は自分だけじゃなくて
チーム全体に影響を及ぼします。
 
 
 
チームに属しているときには、
チームの一員なんだっていう自覚が必要。
っていうことですね。
 
 
 
でもそれは決して窮屈なことじゃなく、
自分のチームに
誇りを持っているほど自然なこと、
あたり前にできることなんだと思います。
 
 
 
私たちは言ってみれば
クリスチャンというチームの一員。
 
 
 
ここにはたくさんの決まりが
並んでいるけれど、
それは私たちをしばるというよりは、
聖書の神さまを
自分の神さまにしているなら
自然なこと、あたり前のことだよね。
と言っているのが今日のみことば。
 
 
 
自覚は重いこともあるけれど、
自覚が自分を助けてくれることもある。
守ってくれることもある。
そしてだれより神さまが
私たちを助けてくれます。
 
 
 
今日もチーム神さまの一員として
1日助けてもらいましょう。

最後に過ごしていく方につかないとね

「まことに あなたは大いなる方
奇しいみわざを行われる方。
あなただけが神です。
…私の心を一つにしてください。
御名を恐れるように。」
(詩篇86:10,11
 
 
 
人間関係には
むずかしいことがいろいろあるけれど、
中でもつらいのは
“板ばさみじゃないかと思います。
 
 
 
いちばんよく言われるのは中間管理職。
下からは突き上げられる。
上からは押さえつけられる。
 
 
 
これはどっちの立場も理解できるし
どっちの側に立ってしまうことも
なかなかできないから、かなりつらい😨
 
 
 
でも、同じ板ばさみでも、
ほんとはどっちに立つべきか
わかってる場合もあります。
たとえば
お母さんと奥さんの間にはさまる
だんなさん。
 
 
 
お母さんをよく理解しつつも、
最終的には
奥さんの味方じゃないとね。
最後に過ごしていくのは奥さんだから。
 
 
 
どっちにもいい顔をしようとすると、
中途半端で泥沼になる・・・
そして結局どっちからも
認めてもらえない。ってことになる。
 
 
 
神さまとこの世の中にはさまる
クリスチャンの板ばさみも
実はどっちにつくべきかわかっている。
それはもちろん神さま。
だって私たちが最後に過ごしていくのは
神さまだから。
 
 
 
責められないことだけを目ざして
中途半端にいい顔をしようとすると
結局世の中からも認めてもらえない
ってことになってしまいます。
 
 
 
はっきりする勇気を持ちましょう!
それがなかなか持てない。
っていうときには
この詩篇のみことばのように
お祈りしましょう。
「私の心を一つにしてください。
主の御名を恐れるように。」

究極の難問だけどもう悩まなくていい

「あなたは 御民の咎を担い
すべての罪を
おおってくださいます。
…恵みとまことは ともに会い
義と平和は口づけします。」
(詩篇85:2,10
 
 
 
ほんとうに暑い日が続きます。
気温が体温より高い・・・どころか、
発熱でもこんなに出たらヤバい
っていうレベル。
 
 
 
コロナの感染予防にはマスク。
でも熱中症対策も必要。
感染予防を大切にして
どんな時もマスクははずさないと言えば
熱中症の危険が大きくなる。
 
 
 
でも熱中症が危険だからと言って
マスクを取れば、
感染の危険が高まる。
 
 
 
対立している二つのことを
両立させることは
なかなか大変です。
いいポイントを見つけて、
上手に両方クリアしながら
何とかこの暑い夏を乗り切りたいですね。
 
 
 
神さまのまこと(正しさ)と
神さまの恵み(愛)も、
ふつうには決して両立できません。
 
 
 
両立できない二つのうち
どっちか一つを取るということは、
もう一方をあきらめる。捨てる。
ということ。
 
 
 
でも神さまは
どっちかを取るなんてできませんでした。
ご自分が正しく聖いということは
決して放棄できないし、
罪を犯した私たちを見捨てることは
神さまの愛がそんなことできない!
と叫ぶ。
 
 
 
そして見つけたたった一つの道。
それがイエスさまの十字架でした。
すべての罪をさばくという正しさと
すべての罪をゆるすという愛が
両方満たされるたった一つの道。
 
 
 
この道を開くために
神さまは考えられない犠牲を
払ってくれました。
 
 
 
だから私たちはこの難問を
どうしたらいいかともう悩まなくていい。
開いてくれた道を
受け入れるだけでいいのです。
ほんとうに感謝ですね。

効き目は一瞬も途切れない

「火は絶えず祭壇の上で
燃え続けさせなければならない。
消してはならない。」
(レビ6:13
 
 
 
コロナがなかなか収まらない中、
毎日増える感染者に対処してくれる
医療従事者の方々には
ほんとうに感謝です。
 
 
 
病気で苦しんでいる人には
夜もお休みの日もない。だから
特に看護師の人たちは夜勤や休日出勤をして
目を配ってくれている。
途絶えさせないって、大変😨
 
 
 
イエスさまが来る前、
人が罪を赦してもらうためには
動物の血を流す必要がありました。
 
 
 
動物に代わりに死んでもらって
その血に免じて赦してもらっていたのです。
(ちなみに、今も罪を赦してもらうには
血が必要、っていうのは
変わっていないんだよ。知ってました?)
 
 
 
だから、すき間ができてしまわないように、
動物をいけにえにしてささげる
祭壇の火は、一瞬でも消えてしまわないように
燃え続けさせなければなりませんでした。
それってどんなに大変だったことか
 
 
 
もし私たちが
自分で自分の罪を赦してもらうために
一瞬も気を抜かずにいなさい
なんて言われたら、そんなことは不可能です。
 
 
 
でも今私たちには
イエスさまという救い主が
与えられています。
イエスさまが十字架で流してくれた血は、
一瞬も途切れずに
私たちの罪を赦す力を発揮しています。
 
 
 
だから
夜も眠らずお祈りし続けなくてもいいし、
一瞬でも切れちゃったらどうしよう
と緊張し続けなくてもいい。
 
 
 
今日も信じているなら
一瞬も絶えることなく
その効き目は継続しています。
ほんとに感謝なことですね。

逆氷山の一角

「私の口は絶えず語り続けます。
あなたの義と救いとを。
そのすべてを
私は知っておりませんが。」
(詩篇71:15
 
 
 
氷山の一角、ということばを
知っていると思います。
問題が起きたとき、
見えている部分は全体の一部分にすぎない
ということを表すことばです。
 
 
 
私も今回初めて知ったけど、
氷山は、海水との密度のちがいで
ほぼ10%が海面上に見えてる
って決まってるんだって。
 
 
 
つまり見えてる大きさの
9倍のかたまりが海の中にある。
ってこと。
 
 
 
だから見えるとこだけに
気を取られないで
根っこも見きわめよう!
っていう話。
 
 
 
これは問題のことを言ってるんだけど、
神さまの恵みは
“逆氷山かな、と思いました。
 
 
 
私たちが神さまの恵み
って知ってる部分は
ほんとにごくごく一部分。
 
 
 
氷山は下だけど、恵みは上に
私たちの目には見えていない
ずっとずっと大きな部分がある。
 
 
 
問題はこれくらいなら大丈夫
って油断するのが危険。
恵みはこれしかないなら
あってもなくてもあまり違わない、
って思うっちゃうのが危険。
 
 
 
どちらにしても
自分が理解したことだけで
これで全部って思うのは危なすぎです。
 
 
 
自分に見えてるだけじゃないんだな
ってことを
頭に入れておくだけでも👍
 
 
 
神さまの恵みは
私たちが今わかってると思ってる大きさの
何倍も何倍も大きい。
忘れないでね。