人工衛星位置情報より正確に
「主は、昼は、
途上の彼らを導くため雲の柱の中に、
また夜は、彼らを照らすため
火の柱の中にいて、
彼らの前を進まれた。
彼らが昼も夜も進んで行くためであった。」
(出エジプト13:21)
人工衛星からの位置情報
などというものがなかった時代
360度どっちを向いても水しか見えない
海の上や
見渡す限り砂しか見えない砂漠を旅するのは
本当に大変だったと思います。
自分では進んでいるつもりでも、
同じところをぐるぐる回り。
がんばったのに、気がついたら
もとのところに戻っちゃってた
なんてことになったら、
ほんとにガックリ😞
だから旅をするイスラエルの民のために
神さまは雲の柱火の柱となって
昼も夜もそばにいてくれました。
昼間の雲は進む方向を示し、
夜の火は、野獣などの危険から
守ってくれたのでしょう。
神さまの導きについていきさえすれば、
迷わず正しい方向に進めたし、
危険から守られて
安全でいることができました。
私たちも今、
どっちに進んで行ったらいいか
よくわからない、
という中に置かれています。
この先に何が待っているのかも
到着点がどこなのかもわからず、
世界中が右往左往しています。
だから私たちにできることは
やっぱり神さまから離れないでいる
ということ。
神さまは人工衛星より正確に
進むべき正しい方向を示し、
障害があるときには適切な迂回路に導き、
私たちに襲いかかろうとする危険から
守ってくれます。
今日もしっかり神さまに目を向けて
歩みましょう。
デフォルメじゃなくリアル
「いなごが地の面をおおい、
地は見えなくなる。」
(出エジプト10:5)
いなごが大量発生して
地面が見えなくなる。
大洪水が起こって
山々の頂も隠れる。
聖書に書いてあることって、
ちょっと大げさ。っていうか、
きっとわかりやすいように
デフォルメされてるよね・・・
しばらく前までは
そんなふうに思っていた人も
たくさんいたんじゃないかと
思います。
でも今アフリカや南米では
リアルにバッタが大量発生してて
大変なことになってる。
洪水も、
前は床上浸水で大ごとだったけど、
最近は1階が全部水没するのも
珍しいことじゃない。
中国では、世界地図にのるような
長江という大きい川が
大氾濫しているそうです。
聖書に書いてあることって、
ほんとにあり得るんだ😲
っていうことが
次々と実際に起こっているんですね。
みことばは
私たちが生きているリアルに
ほんとうにつながっています。
だからみことばはみことば。
自分の生活は自分の生活。じゃなく、
みことばを
自分のリアルに当てはめることが
とても大切。
そこに書いてあることは全部、
私たちが永遠に生きる
っていうリアルに
つながっていることだから。
今日もみことばから離れないで
1日を過ごしましょう。
テストだからプロテイン???
「しかし、
聖霊があなたがたの上に臨むとき、
あなたがたは力を受けます。」
(使徒1:8)
入試が迫ってる!
けど、学力が足りないから、
プロテインをいつもより多めに飲む!
試合が近づいてる!
けど技術力が足りないから
参考書をひたすら読む!
・・・そんなことをする人は
いません。
学力と技術力は同じ“力”だけれど、
まったくちがう力です。
では、
クリスチャンとしてしっかり生きよう
と思うのに力が足りない…
というときは、どうしますか?
明日からは、今度こそは
神さまに全部ゆだねることができるように、
誘惑に負けないように、
イエスさまのことを友だちに伝えられるように
がんばりますか?
よし、明日からはがんばる!
それはちょっと、
テストだからプロテイン。
というのに近いかも。です。
がんばろうという気持ちは貴いけど、
え、そこ? いやいや、
ちょっとちがうんじゃ💦・・・
イエスさまを信じる信仰を強め、
イエスさまを証しする力。
それは、“聖霊”が与えてくれるもの。
だから、気合を入れてがんばる!
んじゃなくて、
聖霊の神さまに祈り求める。
力をこめるなら、
聖霊の神さまに祈り求める。
っていうことに力をこめる。
今日も聖霊の神さまは
私たちがクリスチャンとして生きるため、
神さまに仕えるために必要な力を
与えてくれます。
祈り求めながら1日を過ごしましょう。
まさかの閉店?!
「したがってイエスは、いつも生きていて、
彼らのために
とりなしをしておられるので、
ご自分によって神に近づく人々を
完全に救うことがおできになります。」
(ヘブル7:25)
売ってるもののラインアップとか、
雰囲気とかがしっくりきて、
また来たい、というお店が見つかると、
とってもうれしくなります。
必要があるとき、
どこのお店に行けばいいかを
考えたり決めたりするのがまず大変。
だから、そこを迷わずにすむのは、
いい感じ。
それなのに
次行ってみたら閉店してた、
っていうときのショック・・・😨
せっかく見つけたと思ったのに
またお店探しから始まると思うと、
ガックリです。
これは当てになる、頼りになる、
と思っていたものが
もしかすると
当てにできなくなるかもしれない
それってとっても困ります。
当てにできるためには、
あったりなかったり
できたりできなかったりじゃなく、
いつでもあって、いつでもできる
って安心できないとね。
地上の人間やものは、
いつかは死んだり朽ちたりするものばかり。
当てにできる期間があっても、
いつまでも
というわけにはいきません。
でもイエスさまはもう死んで
そこからよみがえった方。
だからもう二度ともうぜったいに
いなくなってしまうことがありません。
だからいつまでも
私たちのためにとりなしていてくれる。
私たちの味方になって弁護してくれる。
いつでもちゃんと当てにできます。
イエスさまを信じているなら
味方が一人もいなくなってしまう
ということはぜったいにないのです。
今週もイエスさまは
信じる私たちの味方でいてくれます。
しっかり信頼して歩みましょう。
行ったらそこにちゃんとある
「ですから私たちは、
あわれみを受け、
また恵みをいただいて、
折にかなった助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に
近づこうではありませんか。」
(ヘブル4:16)
食材を送ってもらえる
食材宅配サービス。
利用する人がけっこう増えているらしく、
たいていは1週間分まとめてだけれど、
その日1日分が毎日届く
っていうサービスもあるそうです。
レシピも来るから、
献立を考えるのが苦手な人には👍。
そして、人数分だけ届くから、
買ったけど使いきれなくて捨てる
ってことがないのがまたまた👍👍。
他の条件も検討しつつだけど、
仕事が忙しいとか、
高齢になって買い物が不自由とかの場合
この選択肢もありかもね。と思います。
冷蔵庫がいっぱいじゃなくても、
その日の分がちゃんとあるなら、
それでいいわけですものね。
神さまの助けも、
「折にかなった助け」
=その時に必要な分がちゃんとある助け。
私たちはあらゆる場面を想定して、
実際には起きないかもしれない場面の分まで
前もって確保しておかないと不安
と思ってしまいがちだけれど、
そんなにすべてをかかえこまなくても、
その時に間に合えばいいのです。
そこに行ったときには必ずあるんだから、
今自分の手もとには何もなくても、
心配いりません。
そしてかかえこまなくていいから
とっても身軽。
最高じゃないですか?
もらうには
「恵みの御座に近づく」=お祈りすること。
しかも大胆に。
こんなこともいいのかな?
と思わなくてもだいじょうぶ。
その時その時にちゃんと間に合ってくれます。