何もないからじゃなく、何かあっても

「私は身を横たえて眠り
また目を覚ます。
主が私を支えてくださるから。」
(詩篇3:5
 
 
 
あたり前だと思ってたことが
あたり前じゃなかった。
コロナの問題が起きてから、
何度も言われていることです。
 
 
 
このみことばも、
そのことを示すみことばとして
思い出したり、語られたりしてることが
多いのかなと思います。
 
 
 
さすがダビデだね。
あたり前の日常にも感謝を忘れない。
私たちも見習わないと・・・
・・・と思ったら、
そうじゃなかった!!
 
 
 
標題を見るとこの詩は
「ダビデがその子アブサロムから
逃れたとき」のもの。
 
 
 
あたり前どころじゃない。
実の息子に王位といのちをねらわれてる
っていうとんでもない状況。
 
 
 
王位やいのちがねらわれるだけでも
そうとうな試練です。
なのに、何とその相手が実の息子。
苦しみは二倍三倍にふくらんでいたでしょう。
 
 
 
眠るどころか、
精神がどうかなっちゃってもおかしくない。
でもその中で、神さまが支えてくれるから
いつものように眠り、目を覚ます。
ダビデはそう言っているのです。
 
 
 
神さまに本当に信頼することが
どれほどの揺るがされない心を与えてくれるか
よくわかります。
 
 
 
何もないから当たり前に過ごせる。
だけじゃない。
神さまに信頼するなら、
何かあってもいつもどおりに過ごせる。
それが神さまが与えてくれる恵み。
 
 
 
心配しようと思ったら種は尽きないけれど、
今日もしっかり信頼して
1日を過ごしましょう。

こめなくていいところにこめている力を抜いて

「そこで彼らは行って
番兵たちとともに石に封印をし、
墓の番をした。」
(マタイ27:66
 
 
 
神さまがしようとすることを
なんとか封じ込めようとした人々の努力は
無駄でした。
 
 
 
自分にとってあったら困るもの
見たくないものに蓋をして、
取りあえずないことにしようとする。よくやるね。
心の中の秘密も
それを知ってる神さまの存在も。
 
 
 
でも蓋をしたからといって、
見えなくなるだけ。
中身はなくなりも良くなりもしません。
 
 
 
かぶせた蓋のこわいところは、
いつはずれるかかわからない、ってこと。
だから蓋をしてる限り、
開いちゃわないようにがんばるしかない。
それはそれはとっても疲れます。
 
 
 
見ないことにするのはもうやめて
蓋を開いてまずは中身をちゃんと見ましょう。
いきなり人にぶちまけたら大変なことになるから
まずは神さまの前で。
 
 
 
神さまは中にどんなものがあったとしても、
そのまま受け入れてくれて、
ちゃんと癒やしてくれます。
 
 
 
自分の心の中にあるものにも、
神さまがしようとすることにも蓋をしない。
もう封じ込めようとがんばらない。
 
 
 
こめなくていいところにこめている
力を抜いて、
神さまにゆだねましょう。
それはそれはほんとに楽チンです。

そこまでできちゃう?!

「さて、祭司長たちと最高法院全体は、
イエスを死刑にするために
イエスに不利な偽証を得ようとした。」
(マタイ26:59
 
 
 
最近の香港では、
たくさんの人が反対してるにもかかわらず
発言の自由がどんどん奪われている
とニュースが伝えています。
 
 
 
中国が一方的に
国の安全をおびやかす発言や行動は罪。
という法律を作りました。
いちばん重い罰は終身刑。
つまり一生牢屋から出てこれない、ってこと。
 
 
 
簡単に言っちゃうと、
今のやり方はおかしい、
と言ったら、もうアウト。ってこと。
お~~~こわ😨
 
 
 
自分の利益、プライドを
守るためなら、
だれをどんな目にあわせてもかまわない。
どんな手を尽くしても黙らせる。
平気で終身刑にでも死刑にでも
してしまう。
 
 
 
私たちから見ると
そんなことがほんとにありなの?!
ってオドロキだけど、
日本だって戦争の時は同じでした。
イエスさまの裁判も
始める前から死刑は決定事項
だったのです。
 
 
 
人の心はずーっと変わっていない。
ちゃんと話せばわかる。
ほめてのばしていけば良くなる。
のではないのです😢
 
 
 
リミッターがはずれれば、
何をするかわからない。それが人の心。
自分だって例外ではありません。
 
 
 
それをそのままにしておいて
ほんとうに幸せにはなれない。
だから、神さまの救いは
なくてもいいけどあった方がいい
んじゃなくて、どうしても必要。
それを言おうとしているのが聖書です。
 
 
 
自分はだいじょうぶ
と思うのはとっても危険。
今日もしっかり神さまにつながって、
心を守ってもらいましょう。

わかってくれるのはおまえだけ?

「御目は人の子らのすべての行いに
開いていて、
それぞれにその生き方にしたがい、
行いの結ぶ実にしたがって
報いをされます。」
(エレミヤ32:19
 
 
 
お家にいる時間が長くなり、
今までより取り組む人、
始めた人が増えたいろいろなことの中に
ガーデニングや筋トレも
入っているそうです。
 
 
 
どこがいいかというと、
やってる人たちが口をそろえるのは、
やればやっただけ返ってくる。
=成果が目に見える。
=やりがいがある。
ということみたい。
 
 
 
はまっている人たちは
努力を裏切らないんです!!
って熱く語る・・・
 
 
 
それは裏を返せば、
日常の中では
成果が目に見えない。
努力が報われない。裏切られる。
そういうことがたくさんある。
ということなのでしょう。
 
 
 
確かにこの世界には、
何のためにがんばったのかわからない
ということが多々あるのが事実。
やる気をキープするのも大変😢
 
 
 
でも神さまは
すべての行いをちゃんと見ていて、
それぞれに報いてくれる。
ここにちゃんとそう書いてあります。
 
 
 
その報いはきっと、
えっ、そんなことまで覚えててくれたの?!
っていうくらいきっちりしてること
まちがいなし。
 
 
 
だから、
わかってくれるのはおまえだけ💦
なんて、めげなくてもだいじょうぶ。
今週も地道にコツコツがんばりましょう!

なんだかんだ言っても過ごせるのは

「まことに主はこの場所におられる。
それなのに、
私はそれを知らなかった。」
(創世記28:16
 
 
 
そこにある。ということと、
あることがわかっている。
ということは、
必ずしも一致しないことがあります。
 
 
 
こんなにたくさんあるのに
気がつかないのはどうしてなんだろう
って考えてみると、
それはたぶん
あるのが当たり前すぎるから。
 
 
 
家に帰ったら準備ができてるご飯。
洗濯機に入れておいたら
洗ってきれいになって戻ってくる服。
ひとり暮らしを始めると、
そのありがたみが身にしみますね。
 
 
 
時間とお金をやりくりすれば
行きたい旅行に行ける。
スポーツの試合観戦や
推しアーティストのライブにも行ける。
行く気さえあれば
教会で礼拝を守れる。
 
 
 
コロナ自粛が始まってみると
それも恵まれた状況だった
とわかりました。
 
 
 
神さまが自分がいる場所に
いつでもいっしょにいてくれる。
そのことも、
あまりに当たり前すぎて
すごさがよくわからないということが
あるんじゃないでしょうか。
 
 
 
神さまがほんとにいない場所。
そこはいのちがなく光もなく、
死と暗闇と苦しみだけが支配する場所です。
 
 
 
ほんとになくなってしまってからでは
取り戻すことができません。
 
 
 
たとえ感じることができていなくても
神さまは今日もちゃんと
私がいる場所にいてくれています。
だから私たちは当たり前に1日を始め、
なんだかんだ言いながらも
過ごすことができるのです。
 
 
 
そのことが少しでも
感じ取れる1日でありますように。