最強のさらに上をいく
「彼とともにいる者よりも
大いなる方が、
私たちとともに
いてくださるからである。」
(Ⅱ歴代32:7)
トヨタの車。と言っても、
全部を全部トヨタが作ってるわけじゃ
ないらしいです。
それこそたくさんの
子会社や下請けの会社があって、
たった一つのパーツだけを作ってる
っていうところもあるんですね。
大会社の傘下に入れば
言われるとおりにしなきゃいけない、
っていうしばりはあっても、
必ず買ってくれるとわかってるから、
自力で戦うより
経営はずっと安定する。
バックに大物がいる
っていうのはとても心強いこと。
敵が攻めてきたとき
ヒゼキヤ王さまは
こわがらなくていい。と言いました。
なぜって自分たちには、
目には見えないけど
大きいバックがついてるから。
攻めて来てる敵は
当時の世界を支配していた大帝国。
ふつうに考えたら、
とても勝ち目はない。
でも自分たちのバックは、
人間世界では最強のさらに上をいく
バックだから。というのです。
神さまは、
私たち信じる者の
バックになってくれる方。
私たちが日々戦っている悪の力は
ほんとに強大。
自分だけじゃ、
とてもじゃないけど太刀打ちできない。
でも神さまは
私たちがやられてしまわないように、
どんなときにも
力強い後ろ盾になってくれます。
私たちの後ろには
神さまがついている。
だから今日もだいじょうぶ。
しっかりより頼んで歩みましょう。
明日から強くなる魔法の方法…?
「これらの真実なことが
行われた後、…。」
(Ⅱ歴代32:1)
有名なスポーツ選手が
母校の小学校やスポーツクラブを訪問して
お話したり
いっしょに体を動かしたり。
そんな時、
「せっかく会えたから、
何か聞きたいことはありませんか?」
と聞かれた子どもたちから
よく出てくる質問が
「どうしたら
そんなにうまくなりますか」
その子はきっと、
“これをやればすぐにうまくなるよ”
を聞きたいんだね。
でも、そんな魔法みたいな答えはないし、
もし答えが何かあるとしたら
「まずとにかく練習。ひたすら練習。」
なんじゃないかなーと思います。
どうしたら何が起こっても
動揺しない強い信仰を持てますか?
という質問も、それと似ているかな。
明日から信仰が強くなる魔法の方法。
そういうものは残念だけどなくて、
もしできることがあるとしたら、
毎日の真実な積み重ね。
ヒゼキヤ王さまが
攻めてきた大国アッシリアを
やっつけたのは
聖書中の有名な勝利の一つだけれど、
その前に「真実な行い」がありました。
優勝や勝利は
真実な積み重ねの花の部分。
花はもちろん、
幹や枝があってのもの。
神さまは
私たちの真実を必ず見ている。
これが何の役に立つだろう、
と今は感じるようなことも
必ずやがての結果へとつながっています。
今日も1日
見てくれている神さまを信じて
真実に歩みましょう。
うまくいくって、とっても危険
「しかし、彼が強くなると、
その心は高ぶり、
ついに身に滅びを招いた。
彼は自分の神、主の信頼を裏切った。」
(Ⅱ歴代26:16)
初心者のとき。新人のとき。
後輩のとき。平社員のとき。
謙遜でいることは、
どっちかと言えばやさしいです。
問題は経験を積んで先輩になったり、
うまくいって
立場が上がって行くとき。
最初のころの
ちゃんと話ができる感じは
どこに行っちゃったんだろう?
と思うくらい人が変わって
えらそうになってしまう人、
いますよね。
人より成功したり、
立場が上になったりしたとき。
それはその他大勢だったときよりずっと
気をつける必要があるのです。
ウジヤ王さまは、
ユダの王さまの中でも
「いい王さま」として知られている人。
でも強くなったとき、
心に高ぶりが生まれて、
祭司以外はしてはいけないことを
しようとしてしまいました。
神さまが助けてくれたから
今の成功がある、
っていうことを忘れてしまったんですね。
うっかりすると教会の中でも、
“先輩”になって
ふふん、て態度になること、
ないとは言えない”(-“”-)”・・・😢
もはやそれ、ほんとのクリスチャンですか?
レベルですけど…
でもそれほどに、うまくいくことは
人にとって危険。ていうこと。
そして謙遜であり続けることは
決して簡単なことではありません。
あの人のこと?と人のことを考える前に
自分がいつでも十分気をつける。
この問題はどんなに気をつけても
気をつけ過ぎる、ということはありません。
神さまの助けと恵みあっての自分だ。
ってこと、今日も忘れずに、
感謝して過ごしましょう。
もういやだ。ってぜったいに言わない
わたしは、
あなたがたを捨てて
孤児にはしません。」
(ヨハネ14:18)
孤児。
今の私たちにとっては
あまりピンとこない
ことば(存在)かもしれません。
でも世界に目を向ければ、
中東とかアフリカとか
あちこちで続いている戦争や、
エイズなどの病気で
孤児になった子どもたちが
それこそたくさんいると伝えられています。
今回のコロナウィルスでも、
孤児になった子がいる国がある
と聞きました。
孤児になるっていうことは、
必要を与えてくれて
危険からは守ってくれる保護者が
いなくなってしまうということ。
生きていくこと自体が
ほんとに大変になってしまいます😢。
でもイエスさまは
私たちを孤児にはしない、と言いました。
それは必ず私たちの保護者で
いてくれる。ということ。
どんなときにも
なくてはならないものを備え、
何が危険なことか、
どうすれば避けられるかを教え、
いざという時には
自分の身をさし出して守ってくれる。
私たちの安全を保障してくれる保護者。
この保護者は、どんな状況になっても
決して見捨てない。
もういやだ。ってぜったいに言わない。
放り出してしまわない。
実際私たちを罪の滅びから救うために
自分のいのちをさし出してくれました。
今日もイエスさまは
私たちの保護者でいてくれます。
私たちに心を留め、
目を配っていてくれます。
まかせて安心です。
どんな占い師にもわからないこと
「王が求めておられる秘密を
王にお示しすることは、
知者や、呪文師、呪法師、
占星術師などにはできません。
しかし天に秘密を明らかにする
ひとりの神がおられます。」
(ダニエル2:27,28)
見えないものなんて
バカバカしい。と
これだけみんなが言っている世の中なのに、
占い師は相変わらずけっこうな人気。
雑誌やワイドショーにも
必ず占いコーナー。
これって、どういうこと?
信じられるのは自分だけ。
って言ってても、
やっぱりその自分に
どこか不確かさを感じている。
その不安の表れなんでしょうね。
だから占い・・・?
私たちがほんとうに知りたいこと。
自分のいのちと存在の意味。
死んだらどうなるのか。
じゃあどう生きていったらいいのか。
その答えはどんな人間に聞いても
ほんとうに教えられる人はいません。
知ってるのは神さまだけ。
超頭がいい人たちが
今のところ考えついてる私たちの存在。
それは数えきれないほどの
偶然の結果だって。
ただよっていたガスが偶然衝突して
偶然かたまりになり、
偶然水と空気ができて、
偶然生物が発生。
海にいた生物が偶然陸に上がり
偶然の変化を何度も重ねて人間に。
いったいどんだけ偶然?
そんなこと、ほんとにある?
それを信じるのと、
見えない神さまを信じるとの、
どっちが不確かであやしいんだろう?
確かに神さまは見えない。
でも私たちがちゃんとわかるように、
聖書を与えてくれています。
聖書を信じる心で読みさえすれば、
ほんとうの答えは全部書いてある。
今週も、
みことばといっしょに歩みましょう。