どこに行くことになろうとこわいものなし

「わたしがあなたがたを引いて行かせた、
その町の平安を求め、
その町のために主に祈れ。
その町の平安によって、
あなたがたは平安を得ることに
なるのだから。」
(エレミヤ29:7
 
 
 
いろいろ思わないことが起こると、
ほんとうはこんなはずじゃない。
ここは自分がいるべきところじゃない。
早く元に戻りたい。帰りたい。
 
 
 
そう思うのは自然です。
しばらくなげき悲しむことも
ありかもしれません。
 
 
 
でもそれをいつまでも
ずっと言い続けているのは
どうでしょうか。
 
 
 
敵に敗れて
敵国に連れて行かれたイスラエルの民は、
その連れて行かれた町の平安のために
祈りなさい。と言われました。
平安どころか滅んじゃえ
って言いたいところかもだけど。
 
 
 
どんなにこんなはずじゃない
場所であっても、
そこに神さまの恵みと平安が
注がれるように祈る。
 
 
 
それが結局あなたがた自身の平安に
つながるんだよ。
と神さまは言いました。
 
 
 
こんなはずじゃない。
といくら言ってみても、
それで何かが良くなることはないし、
気持は後ろ向きになるばかり。
何も生まれてきません。
 
 
 
思いどおりじゃない状況が
まだまだ続きそうな私たち。
はっきり言って望ましいとは言えないけど、
望ましくない場所でも
神さまの恵みを祈る。それを
ほんとにやってみるチャンス。です。
 
 
 
そこがどこであっても
自分がいる場所を
神さまの恵みの場所にできる。
そしたら、どこに行くことになろうと
こわいものなし。
 
 
 
ぜひほんとにやってみましょう。

少数派でも正しい側に立つ勇気

「ダビデがまだキシュの子サウルから
身を避けていたとき、
…彼のもとに来た人たちは
次のとおりである。
イッサカル族からは、時を悟り、
イスラエルが何をすべきかを
知っていた、かしら二百人。」
(Ⅰ歴代12:1,32
 
 
 
少数派、マイナーが
正しいとわかっていても、
そちらにつくというのは
なかなか勇気がいることだったりします。
 
 
 
そのマイナーが
おたずね者だったりしたらなおさら。
…そういえば、映画キングダムも
そんなような話だったような
 
 
 
でもどんな時代でも、
多数派、体制が正しいとは限らない。
たとえみんなが言っていたとしても、
それに流されることは
まちがいに加担することになることが
ある。
 
 
 
時を悟り、何をすべきかを知って
あえて少数派の側に立つ勇気。
持ちたいものです。
 
 
 
ダビデがおたずね者だったとき
それでもダビデのもとにやって来た人々。
その名前を聖書は
ちゃんと記録している。
 
 
 
今の時代、クリスチャンは
少なくとも日本では少数派。
でもやがてイエスさまが
この世界を治めるまことの王であることを
私たちは知っています。
 
 
 
だから時を悟り、
イエスさまの側に立ち続ける勇気を
これからも持ち続けましょう。
 
 
 
ダビデのもとにだれが集まったか。
聖書がちゃんと記録しているように、
イエスさまの側に
立っているのはだれか。
それは神さまのいのちの書に
きちんと書かれています。
 
 
 
その人たちはやがて
イエスさまといっしょに治める。
私たちの勇気が
報われる日が必ず来るのです。
 
 
 
だから今日も
勇気をもって立ち続けましょう。

連絡があるのは・・・

「彼は、
壊れていた主の祭壇を
築き直した。」
(Ⅰ列王18:30
 
 
 
ふだんは
何の音沙汰もない。
ラインにもメールにも返事がない。
珍しく連絡きた、と思ったら
お金の話だった
 
 
 
県外に子どもがいる親たちに
あるあるの会話です(*’▽’)
それでも必ず何とかしてくれる。
っていう信頼なんでしょうけど
 
 
 
お願いの時以外は用なし。
っていうのもどうなの?
って思ったり思わなかったり。
 
 
 
自分が頼まれる側だったらどう思う?
って思ったり思わなかったり。
 
 
 
でも考えてみると
私たちは神さまに対して
まさにそんな態度を取りがち
かもしれません。
 
 
 
自分が困ってないときは
ほぼ他人のふり。で、
してほしいことがあるときだけ
「お願い。お願い!」
 
 
 
おまけに、すぐ聞いてもらえないと
「なんてひどいやつ!
いじわる! だからきらい!」
なんて言っちゃったり。
 
 
 
いやいや、よく考えたら
自分がやっていることの方が
だいぶ一方的・・・
じゃないでしょうか。
 
 
 
主の祭壇を築き直す
→神さまとの関係をきちんとする。
お願いしたいなら、
まずそこです。
 
 
 
あなたの祭壇は
きっちり立っていますか。
もしグズグズ、グラグラ、ボロボロ
なら、神さまってどうなの?
という前にそこを立て直しましょう。
 
 
 
そこさえきちんとしていたら、
あとは神さまが
全部ちゃんとやってくれます。

チケットなしでテーマパーク?

定めにしたがって、
私たちが主を求めなかったからだ。」
(歴代Ⅰ15:13
 
 
 
TDL、USJ・・・
各地のテーマパークは
まだお休みが続いているようです。
心おきなく遊べるまでには
もう少し時間がかかるかもしれません😢
 
 
 
テーマパークに入るのに必要なのは
もちろんチケット。
チケットを買って
入り口ゲートを通る。これが決まりです。
 
 
 
中に入るだけなんだから、
そんな高いお金払わなくてもいいじゃん?
なんて言って、入り口ゲートを通らず
入りこんだりしたら、
明らかアウト。
見つかり次第つまみ出されてしまうでしょう。
 
 
 
天国という
きよくて美しい永遠のパークにも、
入るための決まり=定めがあります。
 
 
 
それはイエスさまの十字架を
自分の罪のためと信じる。
という入り口を通ること。
 
 
 
でも、天国には入りたいけど、
その入り口は通りたくない。
っていう人がほんとにたくさん。
 
 
 
そして、
そこ通らないと入れてくれないなんて
愛がないんじゃないの?
なんて言ったりします。
 
 
 
でもそれって、テーマパークに
チケットを買わずに
入ろうとするようなものじゃない?
入れなくても不思議はないよね。
 
 
 
テーマパークのチケットは
高すぎて買えない。
っていう人がいるかも。確かに高い
 
 
 
でも天国のチケットが
高すぎて買えない人はだれもいません。
だれでも手に入れることができます。
チケットがあれば堂々と入れます。
 
 
 
今日もちゃんと持っていますか?
なくさないように気をつけて!

パワーは感動モノ

「たとえ、あなたが重層で身を洗い、
たくさんの灰汁を使っても、
あなたの咎は、
わたしの前に汚れたままだ。」
(エレミヤ2:22
「たとえ、あなたがたの罪が
緋のように赤くても、
雪のように白くなる。」
(イザヤ1:18
 
 
 
最近お掃除に使える
スグレものとして、
重曹が脚光をあびています。
環境にやさしく、
汚れ落ちもなかなか。
 
 
 
…まあでも、新しい発見
というわけでもないみたい。
旧約聖書のころから
ちゃんと使われてたんですね
 
 
 
いろんな汚れに効き目がある重曹。
でも、残念ながら心の汚れは
落とすことができません。
 
 
 
決意とがんばりで
消えたような気がしても、
せいぜいもって数日。
またまた心の底の方からわいて出てくる
良くない心。
 
 
 
落ちない汚れって
がんばるほどガッカリします。
 
 
 
でも、たった一つだけ、
その汚れを落とせる方法が。
それが重曹ではなく、
イエスさまの十字架の血。
 
 
 
どんなシミもこの人に頼めば
っていうすご腕シミ抜き職人が
いるけれど、
あんなに落ちなかったのに?!
っていうくらい見る見るきれいに。
 
 
 
がんばってはガッカリ😞
は、もうやめて、
いさぎよく神さまに頼みましょう。
 
 
 
そのパワーといったら
感動モノ。
今日もまだまだ効き目は有効です。