負けてしまう心から守ってくれる

「子があなたがたを自由にするなら、
あなたがたは
本当に自由になるのです。」
(ヨハネ8:36


 
 
薬物のことが
大きなニュースになっています。


 
 
前に中毒だったけど
今はなんとか抜け出せたという人。
始めたきっかけは
学校で「やってはいけない」
という指導があったことだったそう。


 
 
「やってはいけない」
って言われたからやりたくなった。


 
 
人の心はほんとうに
ねじまがっています。
この人だけじゃありません。


 
 
いけないことだとわからないから
やったのかと思いきや、
わかっててもやってしまう。
やりたくなってしまう。
そしてやめられなくなってしまう。


 
 
やりたいからやるのが自由だ
と思い込んでいるけれど、
実は奴隷なんだよ。
とイエスさまは言いました。


 
 
やっているときは楽しいかも。
でも終わってみると、
がまんするなんていやだ!
と思っていた時よりもっと落ち込む。


 
 
そこにはほんとうの楽しみも
これでいいという納得もない。
私たちの心は、
悪い方に引っぱる力に抵抗する力が
ほんとうに弱い。


 
 
だからわたしが来たんだよ!
とイエスさまは言っています。
「わたしが自由にしてあげる。
わたしに頼んでごらんなさい。」


 
 
イエスさまは今日も
負けてしまう心から守ってくれます。
お祈りしてより頼んで過ごしましょう。

偏差値40アップ

「この人が罪を犯したのでもなく、
両親でもありません。
この人に
神のわざが現れるためです。」
(ヨハネ9:3
 
 
 
「ビリギャル」
しばらく前に話題になった
実話物語。
 
 
 
高校2年の夏に偏差値30だった
金髪ギャルのさやかが
ある塾の先生に出会ってやる気に目覚め、
ついに現役で慶応大学に合格!
 
 
 
「笑えて、泣けて、最後には自分自身も
“絶対無理”にチャレンジしてみたくなる」
と大反響。
映画にもなりました。
 
 
 
ふだんから1番を取ってる人が
慶応に合格しても
ふーん、やっぱりね。
でだれも驚かない。
 
 
 
でも、ビリだった子が
っていうところがみんなを感動させた。
その先生との出会いが
その子の人生を大きく変えたんだね。
 
 
 
私たちが神さまと出会ったことは、
ちょうどこの子が
その先生に出会ったようなもの。
 
 
 
もともとすばらしい人が
立派になってもあんまり驚かない。
 
 
 
でも神さまの栄光を現すなんて
とてもムリ。
と思えるような私たちだからこそ、
神さまがしてくれることのすごさが
はっきりわかるのです。
 
 
 
もとがどんなにダメかは
関係ない。
やってくれるのは神さまだから。

空高くどこまでも

「しかし、主を待ち望む者は
新しく力を得、
鷲のように、翼を広げて
上ることができる。」
(イザヤ40:31
 
 
 
学校や会社に行けない。
気軽にショッピングもできない。
友だちとワイワイもできない…
 
 
 
私たちの行動には今、
いろんな制限がかかっています。
 
 
 
じゃあといって
テレビやネットの情報を見ると、
ここもコロナウィルスの話ばかり。
気分はかなり⤵⤵⤵
 
 
 
でもどうなんだろう。
だから、私たちの心も
不自由になっても仕方ない?
ふさぎこんだりイライラしても当たり前?
不機嫌に当たり散らしてもしょうがない?
 
 
 
そうではない。と思います。
体の自由が奪われたからって
心の自由までなくさなくてもいい。
 
 
 
逆にこんな時だからこそ、
たとえ体の自由がなくなってても
空を飛ぶ鳥のように自由な心を
持ち続けたいもの。
心の自由まで奪われてたまるか!
くらいの気持ちを持ちましょう。
 
 
 
そのためには?
自分なりのいろんな工夫も
そして何より、主を待ち望むこと。
⇒神さまが助けてくれると期待して
お祈りすること。
 
 
 
心からより頼むなら、
神さまは必ず助けてくれます。
しばられている心を
解き放ってくれます。
心からより頼むなら。ね。
 
 
 
行動は不自由でも
空高くどこまでもゆうゆうと飛ぶ
自由な心。
神さまにもらって
今日も1日乗り越えましょう。

ほんとうにしてほしいこと

 
「『わたしに何をしてほしいのですか。』
するとその人は答えた。
『主よ、目が見えるように
してください。』」
(ルカ18:41
 
 
 
「何をしてほしい?」
イエスさまに会えるのは
一生にこの一度だけ。ってときに
こう聞かれたら、
私たちは何て答えるでしょうか。
 
 
 
してほしいことは
あれもこれも
たくさんあるような気がするけれど、
いざ改まって聞かれると
「え〜っと…ちょっと待って…」
すぐには答えが出てこないことが
多いかもね。と思います。
 
 
 
自分にとって何がほんとうに必要か。
ふだんはあんまり考えないし、
考えなくても
何となく過ごせてしまいます。
 
 
 
でも「不要不急は避けて」
って言われてる今は、
その質問が
一人ひとりにさし出されてて、
そのことを考えるチャンスかもしれません。
 
 
 
この人は
実際の目を見えるように
してもらいました。
 
 
 
私たちに必要なのは
ほんとうに大切なこと、
必要なことが
ちゃんと見える心の目。
 
 
 
それがあれば、
こういう時にどう行動すればいいか。
あまってしまいそうな時間を
どう使えばいいか。
そのことも見えてくるでしょう。
 
 
 
今日もどうすべきかが
ちゃんと見えるように。
そのお祈りをしながら
1日を過ごしましょう。

想定外のすごいこと

「なぜ泣いているのですか。
だれを捜しているのですか。」
(ヨハネ20:15
 
 
 
大事なイエスさまの体がない!😨
マリアは泣いていました。
 
 
 
マリアが見つけたいのは
イエスさまの遺体。
だからよみがえったイエスさまが
すぐそこにいて声をかけても
それがイエスさまだとわかりません。
 
 
 
だから泣き続けていました。
遺体が見つかるより
ずっとすごいことが起こってるのにね。
 
 
 
私たちも、
自分がこれといって
頭の中で思い描いているものが
見つからないとき、
悲しみます。
 
 
 
自分にとっては
それがどうしてもなくてはならないもの。
どうしても見つけたい!
手に入れたい!
 
 
 
でもイエスさまは
それよりずっとすごいものを
与えようとしているのかも。
 
 
 
自分の求めているものにこだわり
下を向いて泣いていたら
そのことに
気がつくことができません。
 
 
 
今何かこれがない、といって
嘆き悲しんでいることがありますか?
嘆くのをいったんやめて
目を上げてみましょう。
 
 
 
死んだのによみがえる。
そんなこと、人間にとっては想定外。
でもそれができたイエスさまは
信じる人にもその力を
あらわしてくれます。
 
 
 
イエスさまは今日も
私たちの想定外の力を持って
生きてるんですから。