完成オープンの日
「イエスは
酸いぶどう酒を受けると
『完了した』と言われた。」
(ヨハネ19:30)
お店がほとんどなかった町に
ショッピングモールができる!
それはもう、
その地域の人たちにとっては
ほんとうに楽しみな朗報。
オープンはいつなんだろう?
早く知りたくて、
わかったらその日を
指折り数えて待つでしょう。
オープンしたら、
その町はもう不便な町じゃない。
ほしいものがすぐ手に入る
便利な場所になります。
ショッピングモールにたとえたら
レベルがちがいすぎてごめんなさい🙇
だけど、
私たちの救いの道が
完成してオープンした。
それがイエスさまの十字架の日。
その日から、
私たちはいつでも望みさえすれば
救いをもらえるようになりました。
ショッピングモールだと、
せっかくできたのに
経営がむずかしくなったから閉店
てことがあり得る。
でも救いの道は
私たちのいのちがあるかぎり、
この世界が終わらないかぎり、
決して閉店しません。
今日は救いの道完成オープンの
とても喜ばしい日。
そのために十字架の苦しみを
引き受けてくれたイエスさまの愛に
心から感謝して過ごしましょう。
がんばっていいわけ
「世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝ちました。」
(ヨハネ16:33)
最近は、
さんざんハラハラしたあげく、
何もスッキリしないまま終わる・・😞。
という作品がけっこうあるみたいです。
わかりきった筋では
おもしろみがない、
というのはわからなくはない。
現実はそんな必ずハッピーとは
いかないよね
というのもその通りかも。
でも神さまを信じる生き方は
最後うまくいくかいかないか
その時にならないとわからない。
天国に入れるか入れないか、
入口まで行ってみないとわからない。
…ではないんだよ。
と言っているのが今日のみことば。
損をして真面目に生きても
何の報いもないかもしれない。
無駄になるかもしれない。
というなら、
せいぜい楽しく生きた方がいい。
ってことになっちゃう。
でも生きている間には苦難があり、
なんで?と思うことが
たくさんあっても、
最後は絶対に大丈夫ってわかっている。
だから神さまを信じる生き方を
続ける勇気をもっていいんだよ。
イエスさまはそう言ってくれています。
その答えを完ぺきに確定させるために
イエスさまは
十字架にかかってくれました。
だから今日も1日、
その勇気でがんばっていいのです。
死んじゃうってなに?!
「わたしがしていることは、
今は分からなくても、
後で分かるようになります。」
(ヨハネ13:7)
新入社員のまず第一歩に
待っている研修。
研修の目的は
仕事を覚えることのはず。
だけど、仕事と何の関係があるのか、
わからないことが
入っていることもありますね。
いったいなぜこんなことを
させられるんだろう?
意味がないように見えると
もやもやしたりするかもしれないけれど、
ほんとはちゃんと意味がある。
ただまだわからないだけ。
弟子たちにとって
イエスさまがすることにも
そういうことがたくさんあった。
言われたことの意味が
わからないこともたくさんあった。
十字架はきっとその究極だったね。
救ってくれるはずのイエスさまが
死んじゃうって、
いったいなに???!!!
でもあとからわかった。
それだけが
自分たちをほんとうに救える
たった一つの方法だった。って。
みことばに従おうとすると、
なぜ神さまはこんなことを
命じてるの?
って思うことがあるかもしれない。
でもそこには必ず意味がある。
それは私たちがほんとに救われることに
必ずつながってる。ってこと。
今わからないからといって
無意味、不必要
と切り捨てない。それが大事。
すべては私たちが
ほんとに救われることを願う
神さまの愛から出ているから。
神さまの愛は今日も変わらない。
そのことを忘れず1日を過ごしましょう。
もう言ってくれてた?
「だれか、わたしのことばを聞いて
それを守らない者がいても、
わたしはその人をさばきません。
わたしが来たのは
世をさばくためではなく、
世を救うためだからです。」
(ヨハネ12:47)
ウィルス感染をこれ以上広めないように
なるべく外出を控えて
家でおとなしくしていてね。
何度もくり返して
言われていることだけど、
大都市圏やヨーロッパなどに行ってきた
という人の感染がわかるケースが
あとを断ちません。
言われたことばが
今の自分と結びつかないのでしょう。
でもこれは限られた人だけじゃなくて、
私たちにもありがちなことだと思います。
神さまのことばも、
私たちは今の自分にどのくらい結びつけて
受け取っているでしょうか。
イエスさまはもうとっくに
ちゃんと言ってくれてることなのに、
ぜんぜんピンと来てなくて
泣いたりあわてたり。
特に十字架から復活にかけては
お弟子さんたちはその連続でした。
何度も「言われてたよね?」
って言われています。
これが人間どうしだったら、
「だから言ったじゃん!」て
とっくにキレられてるかも。
でもイエスさまは
そのことで私たちをさばかない
と言ってくれました。
今の自分とどう関係あるんだろう?
みことばは
そういう心で読むことが大切。
そうすれば
イエスさまの愛がもっとわかるし、
今の私たちの生活に
もっともっと助けになり
力になります。
なんのためのホサナ?
「ホサナ。祝福あれ、
主の御名によって来られる方に。
イスラエルの王に。」
(ヨハネ12:13)
平昌オリンピックで金メダルだった
羽生結弦選手の凱旋パレード。
10万人以上の人たちが
ちぎれそうに手をふり、
黄色い歓声をあげ、
それはもう超熱狂の40分だったそうです。
イエスさまの入京って
今で言えばきっとあんな感じ。
たくさんの群衆が
大喜びで椰子の枝をふりながら
叫んでいました。
「ホサナ!」
なぜそんなに大喜びしてたのか。
それは、イエスさまが
自分たちの王さまになって、
いよいよローマの圧政から
解放してくれると思ったから。
つまり、自分たちの願いを
かなえてくれると思ったから。
でもそうじゃないとわかった。
だから手の平返しで叫び始めます。
「十字架につけろ!」
たった4日後のことでした。
人々にとって大事なことは
自分の願いがかなうかどうか。
それだけでした。
私たちは神さまに
何を期待しているでしょうか?
もし自分の願いをかなえてくれること
と思っているなら、
“そんな神さまならいらない”と言った
エルサレムの人たちと
同じになってしまうでしょう。
それはもしその時自分がそこにいたら
「十字架につけろ!」と叫ぶ
群衆の一人になっていた可能性が大
ということです。
イエスさまの十字架を思う一週間。
自分は神さまに
ほんとのところ何を求めているのか。
今年はぜひ自分の心を見つめ直す
一週間にしましょう。