「主との交わりが
               楽しくなる秘訣!?」
 
 「その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
 <詩篇1篇2節>
 
 いつもは怒っているお父さん、
お母さん、
学校の先生が鼻歌を歌っていたら
「何かいいことがあったんだなぁ」
と思いませんか?

 人は何か嬉しいことがあったり、
気分が良くなると
鼻歌を歌います。

 人の感情は、
自然とおもてに表れます。

 主を信じて、
主に喜んで従うことを
決心した人は、
自発的に集会出席、
聖書通読、
お祈りをするでしょう。

 そして、
主との交わりが楽しくなり、
主を心から賛美するようになるでしょう。

 私達は、
主を賛美しながら
楽しい毎日を送っているでしょうか。

 日々、
主を賛美しながら
歩む者になりたいと思います。


「レホボテ」
 

みことばを口ずさみ
 
 主の教えを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを
口ずさむ。
詩篇1:2
 
 外国語を身につけるコツ
 
 それは単語を覚えることだと聞かされ
確かにその通りだなと思います
 
 私って英語が大嫌いで
テストの点数も英語が一番悪かったのに
何やかにやで気づいてみたら
なんとか読めるという程度なら
今では日本語以外に6カ国語
 
 そこで分かったんだけど
 
 単語を覚えると
文法とか会話とかだんだんと身に付いていく
 
 逆に単語を覚えていないと
何をしても文法や会話が身に付かない
 
 信仰も同じかな
 
 聖書の言葉を覚えて身につけていると
複雑な信仰書にある信仰の法や
神さまとの会話が
自然に身に付いてくる
 
 聖書に親しみ
自分になじませるように
みことばを覚えてみて
昼も夜も口ずさんでみようよ
 
「なた」
 

『どこに身を避ける?』
 
「幸いなことよ。
すべて主に身を避ける人は。」
詩篇2:12


 どんな時、
「しあわせだなあ」
と感じるでしょうか。

 テストで良い点を取った時? 

 彼or彼女と
一緒にいる時?

 欲しい物が手に入った時? 

 きょうのみことばによれば、
主に身を避ける人が幸いな人です

 以前、
火山で火口を見に行ったら、
山の斜面のあちこちに
シェルターが建っていました。

 万一、
噴火したら逃げ込める場所です。

 私たちの生活では、
火山噴火に遭遇することは
滅多にないけれど、
心を傷つける言葉が
ふりかかってきたり、
どこかに隠れたくなって
しまうことがあるものです。

 そんな時、
私たちは神様に
身を避けましょう。

 神様は私たちの
最強のシェルターです。

(かわこ)

「主に身を避ける人の幸い」
 
 「幸いなことよ。
すべて主に身を避ける人は。」
 <詩篇2篇12節>
 
 最近、
誰かに感謝の気持ちを
伝えたくなるような
出来事がありましたか?

 それとも、
感謝の気持ちを
伝えるよりも不平不満を
ぶつけたいと思うような
出来事がありましたか?

 私達人間は、
自分にとって不都合なことや
矛盾したことがあると
不平不満で一杯に
なりやすい者だと思います。

 そして、
“何故このようなことが
起きたのか?
どうしたら解決できるのか?”
と考えます

 しかし、
その時、
立ち止まってイエス様の十字架を
思い出してみませんか?

 イエス様は、
十字架の上で不平不満を
言われたのではなく、
私達一人一人のために
お祈りして下さいました。

 今日も、
そのお方とともに
歩んでいきたいと思います。


「レホボテ」
 

ささえられて起き上がる
 
「しかし、
主よ。
あなたは私の回りを囲む盾、
私の栄光、
そして私のかしらを高く上げてくださる方です。
私は声をあげて、
主に呼ばわる。
すると、
聖なる山から私に答えてくださる。
私は身を横たえて、
眠る。
私はまた目をさます。
主がささえてくださるから。」
詩篇3:3~5
 
 中学時代、
クリスチャンという理由で毎日、
執拗に悪口を言われ続けていた時期があった。
 
相手はリーダー格の男子2人とその他大勢。
 
けれど、
リーダー格のどちらかがいないと弱まった。
 
 私のディボーションはいつも三日坊主で、
なかなか続かなかったけど、
祈ってから学校に行くと、
不思議とその日はリーダー格のどっちかが休みだったり遅刻だったりして、
軽くてすんだ。
 
ディボーションって大事だなあと実感!
 
それでもなかなか続かなかったけど、
いつも神様が支えてくださるから学校に行けた。
 
今日も神様に支えられて起き上がろう。
 
「おばあちゃん」
 

鶏の水飲み
 
「私は身を横たえて、眠る。
私はまた目をさます。
主がささえてきださるから。」
《詩篇35
 
 ある日の新聞のコラムにこんな一文がありました。
 
「米国の言い伝えでは、
鶏は水を飲むとき、
飲んでは上を向き、
飲んでは上を向が、
あれは神様に水をくださった
お礼を申し上げているという。
・・・科学的にはナンセンスだ。
しかし、”ああ鶏が水を飲んでいる”
と思うだけの人間と、
”ああ神様に感謝している”
と思う人間と、どちらの心が豊かだろう・・・」
 
 これを読んで、
しばらく考えさせられました。
 
わたしたちは日常の出来事の中に、
どれくらい神様を意識しているでしょうか?
 
今朝目をさますことができたのも、
神様のみ守りがあったからです。
 
まず、
そのことを感謝しましょう。
 
そして今日起こる一つ一つのことに神様を意識し、
感謝しましょう。
 
祝福された一日になります。
 
りべ
 

「私の味方は誰?」
 
 「救いは主にあります。」
 <詩篇3篇8節>
 
 あなたは今、
何か悩み事がありますか?

 教会に行っていることで
仲間外れにされたり、
神様を信じていることで
からかわれたりしていますか?

 友達に神様のことを話しても、
信じてもらえなくて
悩んでいますか?

 “神様を信じているのに
どうして!?”

 と思う時がありますか?

 主は、
私達の辛くて悲しい気持ちを
聞いて受け止めて下さいます。

 そして、
倒れそうになる時に
支えて下さいます。

 もし倒れてしまっても
起き上がらせて下さいます。

 すべてを打ち明けながら
一歩一歩進んでいく人を
守って下さいます。

 主は、
いつでも私達一人一人の味方です。

 主が私の味方で
いてくださるのですから
安心ではないでしょうか。


「レホボテ」
 

傷をいやす神さま
 
「あなたは、
私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。
私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。」
(詩篇4:1)
 
 私たちの生活には苦しいことがたくさんあります。
 
傷つく言葉を誰かから言われることもあります。
 
外には、
自分のことを大切にしてくれる人だけでなく、
悪意をもって近づいてくる人もいるのです。
 
私たちのことを大切に思っている人、
たとえば、
家族や教会の人から傷つけられることがあるかもしれません。
 
忘れてはならないのは、
人は気づかずに他の人を傷つけてしまうものです。
 
神さまは、
どんな傷も癒してくださる方です。
 
神さまから離れず、
信頼し続けましょう。
 
(たか)
 

「苦しみの時に与えられるもの!?」
 「あなたは、
私の苦しみのときに
ゆとりを与えてくださいました。
  私をあわれみ、
私の祈りを聞いてください。」
 詩篇4篇1節
 
 苦手な科目を克服するのに
苦しみを感じない人は
いないと思います。

 私達は、
何かを克服しようとする時に
苦しみを感じます。

 しかし、
旧約聖書の中に登場するダビデは、
「主が苦しみのときに
ゆとりを与えてくださった」
と言っています。

 苦しみのときに
ゆとりが与えられるなんて
想像ができますか?

 私達にも苦しみの中で
ゆとりが与えられるのでしょうか?

 答えは
“与えられる!”です。

 それは、
主に祈り求める時に
“与えられる”と言っています。

 主は、
私達の祈りに必ず答えて下さいます。


「レホボテ」
 

 
「苦しみの時に
与えられるもの!?」
 
 「あなたは、
私の苦しみのときに
ゆとりを与えてくださいました。
  私をあわれみ、
私の祈りを聞いてください。」
 <詩篇4篇1節>
 
 苦手な科目を克服するのに
苦しみを感じない人は
いないと思います。

 私達は、
何かを克服しようとする時に
苦しみを感じます。

 しかし、
旧約聖書の中に登場するダビデは、
「主が苦しみのときに
ゆとりを与えてくださった」
と言っています。

 苦しみのときに
ゆとりが与えられるなんて
想像ができますか?

 私達にも苦しみの中で
ゆとりが与えられるのでしょうか?

 答えは
“与えられる!”です。

 それは、
主に祈り求める時に
“与えられる”と言っています。

 主は、
私達の祈りに必ず答えて下さいます。


「レホボテ」
 

眠れない
 
 先日、新聞の小さな記事に、
目が止まりました。

 嫌なことがあった日に
なかなか寝付けないことがありますが、
実はこれ、
嫌なことを忘れるための体の
防衛反応らしいのです。

 嫌な記憶を強化させないための
人の自然な反応かもしれないのです。

 十分に眠れた人のほうが
ストレス反応が長引くそうです。

 時には眠れない日があってもいいようです。


 神様はこんなところにも、
恵みを用意しておられるのですね。

 何事もなく眠れるのも感謝、
眠れないのも感謝なのですね。
以前、色々考えて眠れなくなったとき、
眠るのを諦め、毛布を持って会堂に行き、
くるまってお祈りを始めました。

 すると、すぐに眠くなってきて、
ベッドに戻った経験があります。

 眠れない時、思い切って場所を変え、
神様に心を向けるといいかもしれません。


でも、何日も不眠が続くようなら
お医者様に診てもらってね。


「平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ、眠りにつきます。主よ。
あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。」
詩篇4:8

(シロクマ)
 

 
「朝の習慣」
 
 「主よ。
朝明けに、
私の声を聞いてください。」
 <詩篇5篇3節>
 
 あなたは、
朝何時頃に家を出発して
学校に行きますか?

 家から学校までの距離が
長ければ、
それだけ早い時間に
家を出発しなければいけません。

 部活の朝練もあるでしょう。

 朝はとても
慌しい時だと思います。

 しかし、
心まで慌しい状態で
一日が始まると、
ともにいて下さる主を忘れて、
目に見えるものばかりに
楽しみを求めてしまわないでしょうか!?

 主は、
私達人間が色々なものを
楽しむために五感を
与えて下さいましたが、
まずは、
“新しい一日を与えて下さって
ありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。”
とお祈りして一日を
始める習慣をつけませんか?


「レホボテ」
 

待ち伏せられても
 
 主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、
あなたの義によって私を導いてください。
私の前に、あなたの道をまっす ぐにしてください。
詩篇5:8
 
 学校に行く途中、
忘れ物に気づいてしまって
だけど取りに帰る時間もなくて
仕方なく学校にそのまま行く
 
 気が重い
 
 怒っている先生の顔
クラスで笑っている人たちの顔
困ってあたふたしている自分
そんなことを考えながら学校に行く
 
 気が重い
 
 忘れ物ぐらいならまだまし
何かといじめてくるひと
ケチをつけてくるひと
会いたくないひと
見たくないひと
そんなひとたちのところに出かけていく
 
 気が重い
 
 だから、神さまに守ってほしい
わたしの心がこわれてしまわないように
必ず守ると約束された 神さま
約束を守るという確かさ、つまり義、によって
今日のわたしも守ってください。
「なた」
 

「涙をぬぐい去ってくださる方」
 
 「主は私の切なる願いを聞かれた。
主は私の祈りを受け入れられる。」
 <詩篇6篇9節>
 
 私達は、
悲しい出来事や心を痛める出来事に
遭遇すると涙が流れます。

 
たとえば、
愛する家族や友人を亡くした時に
涙が流れます。

 
学校でいじめられた時には、
心を痛め、
涙が流れてくるでしょう。

 
時には、
布団の中で泣き続けて枕を
濡らすこともあるでしょう。

 
気がついたら朝になっていた
ということもあるでしょう。

 
私達人間が涙を流すのは
自然なことです。

 
それでも、
涙を流しながら
現実に向き合うのは、
そんなに簡単ではない時が
あります。

 
でも、
もし現実に向き合いたいと願うならば、
主御自身にお話しすることです。

 
主は、
必ず切なる願い、
祈りを聞いて下さいます。


「レホボテ」

 
「内側をご覧になる神」
 
 「正しい神は、
心と思いを調べられます。」
 <詩篇7篇9節>
 
 中学生、
高校生になって
“少しは自由になったぁ~!”
と思うと、
“どんな髪型にしようか。
どんな洋服を着ようか。
どんなペンダントをつけようか。”
と考えるのではないでしょうか。

 
中高生時代は、
そのようなことが気になる年齢です。

 
おしゃれをすることはいいと思います。

 
しかし、
神様の御前では、
おしゃれをすることで
私達の内面を隠すことができません。

 
神様は、
私達の外側を見ておられるのではなく、
内側を見ておられます。

 
私達がおしゃれをする以上に、
神様の御前を正しく歩むように
願っておられます。

 
そのお方に従って
歩みたいと思います。


「レホボテ」

「私の存在価値」
 
 「人とは、
何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは。」 
<
詩篇8篇4節>
 
 “私って何だろう?

 私が存在している意味は
あるのだろうか?”
と考えたことがありますか?

 将来に希望を見い出せず、
生きている意味が
わからない時がありますか?

 人間は、
自分の弱さに
直面させられると
“こんな私が生きていて
良いのだろうか?
意味があるのだろうか?”
と考えてしまいます。

 もし、
今そのように考えている人が
いたら神様を思い出して下さい。

 神様は、
私達一人一人を尊い存在として
造って下さいました。

 また、
イエス様はご自分の命を
捨ててまでも愛して下さいました。

 私達は、
神様に覚えられています。


「レホボテ」

「私が誇りと
するものは、、、!?」
 
 「私は、あなたを喜び、
誇ります。」
 <詩篇9篇2節>
 
 あなたは、
“これこそが私の誇り!”
と思うものを持っていますか?

“健康だけは自信が
あるから誇れる!”
と思いますか?

 もし、
親・学校の先生を
誇れる人がいたら、
それは素敵なことで、
幸せなことだと思います。

 しかし、
“私は誇れるもの、
誇れる人がいない!”
という人がいるかもしれません。

 でも大丈夫です!

 私達には誇れる人がいます!

それは、
私達一人一人の存在を
喜んでおられる天の父なる神様です!!

 神様が私の存在を
喜んでおられるとわかったら
“私も神様を喜び、
神様を誇ります!”
と告白することが
できるのではないでしょうか。


「レホボテ」
 

⑥見え方がへん!
 
「貧しい者の叫びをお忘れにならない。」
(詩篇9:12
 
 突然、右目の見え方が変になり、
町で評判の良い眼科で診てもらった。
 
午前中いっぱいかかって、
詳しい検査と診察が終わり、
結果は「特に異常は無し」だった。
 
それまで経験したことの無い異常を感じていたから、
午後の診察時間まで待って、
再度、診察を受けた。
 
そして、
「緊急」と赤いハンコを押した紹介状を
書いてもらって大学病院へ行くことになった。
 
そこでは、
手術を受けることができなかったけれど、
別の病院で緊急手術を受けることができた。
 
いくつもの危いところで、
イエスさまは、
道を開いてくださり、
視力を失うことから守ってくださった。
 
イエスさまは、叫びを聞いてくださる。
 
(ふ)
 

「主のまなざし」
 
 「あなたは、
見ておられました。
害毒と苦痛を。
彼らを御手の中に
収めるために
じっと見つめておられました。」
 <詩篇10篇14節>
 
 夏が近づくと、
冬眠から目覚めた蟻が
一生懸命働いている姿を見かけます。

 どこに向かって
歩いているのだろう?
と目で追ってしまい、
時間を忘れてしまいます。

 同じように、
主は私達の歩みを
見ておられます。

 私達の歩む道のりが
良くても悪くても見ておられます。

 今、
“周りの期待に応えられない。
これ以上頑張れない。”
と思いながら勉強している人が
いますか?


 半分あきらめながら
部活を続けている人が
いますか?


 ずっと悩み続けているなら、
少し立ち止まって、
私を見つめておられる
主に目を向けてみませんか。


「レホボテ」

「結果ではなく動機」
 
 「主は正しく、
正義を愛される。
直ぐな人は、
御顔を仰ぎ見る。」 
<
詩篇11篇7節>
 
 生まれてから一度も
失敗をしたことのない人はいますか?

 私達は、
生まれてから一度は
失敗をしたことがあると思います。

 もちろん、
悪気はないでしょう。

 良いと思ってやったことが
失敗に終わった経験は
たくさんあると思います。

 その結果、
悲しみの涙を流した人もいるでしょう。

 しかし、
主は、
私達がどのような動機で
行動したのか知っておられます。

 私達は結果を見てしまいますが、
主は動機を見ておられます。

 そして、
私達の動機が間違っていなければ、
喜んで受け入れて下さるお方です。

 動機をご覧になる主を仰ぎながら、
今日も歩ませていただきましょう。


「レホボテ」

 
「変わらない神のことば」
 
 「主のみことばは
混じりけのないことば。」
 <詩篇12篇6節>
 
 私達は、
相手に伝えたのに
伝わっていなかったということは
ないでしょうか?

 
また、
間違って解釈されてしまったと
思う経験はないでしょうか?

 
反対に、
自分が間違って
解釈してしまった経験は
ありますか?

 
時に、
言葉や表現を変えて
伝えてしまった経験は
ありますか?

 
コミュニケーション・
言葉は難しいものです。

 
人間は、
誰かの言葉で傷つき、
怒り、
喜怒哀楽を感じます。

 
しかし、
神の言葉は、
人を傷つけたり、
落胆させるものではありません。

 
蜜よりも甘いと
言われているものです。

 
今日も変わらない
神の言葉を慕い求め、
従う者とならせて
いただきたいと思います。


「レホボテ」
 

人を通して
 
「主のみことばは混じりけのないことば。
 土の炉で七回もためされて、純化された銀。」 
詩篇126
 
映画「炎のランナー」に、
こんなシーンがあります。
 
主人公が短距離のレースで走り出した途端、
倒れてしまいます。
 
しかし、
彼は立ち上がり、
そのレースを走り抜きます。
 
それを見ていたある老練なコーチが、
彼に声を掛けます。
 
「最善とはいえないが、最も勇敢な走りだったぞ」
 この主人公の心には神のことばがいつもありました。
 
聖書のことばは何千年も、
数えきれない人たちの人生、
毎日、
心の中を、
信仰によって燃やされながらくぐり抜けてきました。
 
今も、
時に倒れたりするもろい私たちが、
それをつかんでまた立ち上がるために、
私たちのために、与えられているのです。
 
(T)
 

「私の目を輝かせるもの!?」
 
 「私の神、主よ。
私の目を輝かせてください。」
 <詩篇13篇3節>
 
 あなたは、
何を見たら目が
輝きますか?

 小さな子供は、
光るものに目を
輝かせると思います。

 さらに、
その光るものが動くと
一生懸命追っていくでしょう。

 私達人間は、
興味があるものに目を
輝かせると思います。

 旧約聖書の中に
登場するダビデは、
神様を知り、
体験することを
望みました。

 彼の目を輝かせたのは、
神様御自身でした。

 そして、彼は、
「私の神、主よ」
と信仰告白をしています。

 私達も、
親・牧師の神様ではなく、
 “私の神様”
と信仰告白をして、
そのお方を体験する度に
目を輝かすことができたなら
すばらしいと思います。


「レホボテ」

「すべてのものに
目を留めておられる主」
 
 「主は天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、
悟りのある者がいるか
どうかをご覧になった。」
 <詩篇14篇3節>
 
 主は、
今の世界、
日本、
私達一人一人をご覧になって
何を感じておられるのでしょうか!?

 主は、
今の私をご覧になって
何を伝えたいと
願っておられるのでしょうか!?

 主は、
私達の周りにいる友達が
本当の神様を求め、
信じることを願っておられます。

 あなたは、
そのために祈ることが
できますか?

 友達を教会に誘うことが
できますか?

 神様のことを
伝えられますか?

 日々、
主の御心を行い、
一人でも多くの人に
神様を伝えていくお互いで
ありたいと思います。


「レホボテ」
 

一番よいところ
 
「測り綱は、
私の好む所に落ちた。
まことに、
私への、
すばらしいゆずりの地だ。」
詩篇16:6
 
 親の仕事の都合で何度か引越しをし、
転校した。
 
そのたびに「何で楽しい時期に限って引越しなん?」といっぱい泣いて神様に訴えた。
 
でも最初の転校を、
あとから振り返ると「神様は最善をしてくださった。」と確信できた。
 
そして、どの引越しもそうだった。
 
 ダビデは「絶好調」どころか「めっちゃ最悪」という感じだった。
 
そんなダビデの言葉だからこそ、
ずっしりと心に響いてくる。
 
「何でこうなんやろ?こうやったらよかったのに…」
そんな風に思うことがいっぱいあるかもしれない。
 
辛いこと苦しいこと、
いっぱいあるかもしれない。
 
でも神様は必ず一番よいところ、
一番よいようにいつもそばにいて導いてくださる。
 
その神様を感じながら、
今日も歩んでいけますように。
 
「おばあちゃん」
 

⑤天体ショー
 
「天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。」
(詩篇19:1
 
 金環日食ゲームをした。
 
31組になって、
太陽・月・地球に見立てたボールを持ち、
宇宙(集会場)で、
1年間の動きをした後、
1直線に並び、デジカメで写す。
 
金環日食に近い写真を撮れるかどうかを競うゲーム。
 
はじめてみると、
月と地球の自転の動きで目が回り、
みんなフラフラになってしまった。
 
回転しながら猛スピードで移動している
太陽・月・地球を、
予測された時間通りに
一直線に並べてくださった神さまは、
すごい!宇宙を創造し、
治めておられるお方が、
およそ秒速30㎞で移動している
地球に住む私達ひとりひとりのことを
心に留めてくださっている。
 
(ふ)
 
 

傲慢の罪
 
「あなたのしもべを、
傲慢の罪から守ってください。
 それらが私を支配しませんように。」
 詩篇1913
 
 私は主イエスさまを信じてから、
迷惑をかけたいろんな人におわびをしました。
 
多くの人は赦してくださり、
「えっ、何のこと?」と言ってくださる方もたくさんいました。
 
 でも、
今は、
どんなにおわびしてもしきれないくらい、
もっともっと、
私が傷つけた人はたくさんいる、
と思っています。
 
 イエスさまは私の罪を赦すために、
十字架にかかられました。
 
しかし、
「傲慢の罪」は、
もう自分には危険はない、
大丈夫、
という、
自分に注意しない心だと思います。
 
誰かを傷つけているかもしれない、
そうしたことを忘れたらいけないのです。
 
T
 
 

生まれる前から
 
「生まれる前から、
私はあなたに、
ゆだねられました。」
 詩篇2210
 
 だれでも、
いろいろな背景、
ここまで来た道程があります。
 
何かが起こったとき、
「それまで、その人がどんな中で生きてきたか」がよく問題にされます。
 
それはとても大事なことなのですが、
自分の生まれた時のことまでさかのぼって、
どうだったかを思い出せる人はほとんどいません。
 
そして、
それがどうだったかで、
その人のすべてが決まってしまうのではありません。
 
 天地をお造りになった神さまは、
私たちも創造なさいました。
 
罪によって、
その姿は壊れてしまいましたが、
その回復のために十字架に架かられたイエスさまを信じるとき、
神さまの創造された「私」が回復されます。
 
そして「生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられていた」と告白できるのです。
 
T
 

「必要を満たして下さるお方」
 
「主は私の羊飼い。
私は乏しいことはありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。」
詩篇23:1~2
 
羊が生きて行くのに必要不可欠なものは二つあります。
 
草と水です。
 
羊飼いは羊と共に歩き、
共に眠り、羊の必要を満たします。
 
同じように神様は私達の必要を知り、
しかも「緑の牧場」「いこいの水」
と最も良いものを与えて下さるのです。
 
今、あなたにとっての必要は何ですか。
 
神様はあなたと共に歩み、
あなたの必要を満たして下さるお方です。
 
あなたの必要を神様に話しましたか?
 
それがあなたにとって最良のものであれば、
神様は必ず与えて下さいます。
 
もし、それがあなたにとって
不必要なものであったり、
更に良いものがあるなら、
神様はNOの返事と共に、
もっと良いものを
備えていて下さることを知りましょう。
 
【タマ】
 

「心のリフレッシュ」
 
「主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。」
詩篇233

神様は私達と共に歩まれ、
私達の心をリフレッシュして下さるお方です。
 
あなたは心が疲れていませんか。
 
悲しみや不安で、
心に重荷を負っていませんか。
 
勉強や部活の人間関係で心がしおれていませんか。
 
あなたの心を
真にリフレッシュできるお方は、
神様です。
 
テレビやマンガやインターネットは、
一時的に心を問題からそらすことはできますが、
心に明るさを与えることも、
力を与えることもできません。
 
ためしに神様にお祈りしてみてください。
 
祈りを通して、
神様の力があなたの心に注がれ、
心がリフレッシュされます。
 
新しい力を受けて、
神様と共に立ち上がってください。
 
【タマ】
 

「恐れるな!」
 
「たとい、
死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。」
詩篇234
 
羊は弱い動物の代表です。
 
逃げるための速い足もなく、
戦うための鋭い牙や爪もありません。
 
それゆえに、
熊やライオンに襲われたらひとたまりもありません。
 
でも、大丈夫。
 
羊飼いが「むち」と「杖」をもって羊の前に立ち、
命がけで野獣から守ってくれるからです。
 
神様はあなたの羊飼いです。
 
常にあなたと共にいます。
 
あなたには今、
恐れがありますか。
 
そんなあなたは何を見ていますか。
 
戦う力のない自分自身を見つめ、
震えおののき、
意気消沈していますか。
 
見るべきは「むち」と「杖」を
持ってあなたの前に立っておられる神様です。
 
さあ、顔を上げましょう。
 
【タマ】
 

 
●死の影の谷
「たとい、
死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。」 
《詩篇234
 
「死の陰の谷って何?」
ある日の礼拝の後で、
小さな女の子に聞かれました。

 その日の礼拝の交読が
詩篇23篇だったのです。

 『死の陰の谷』…
それは「死」を
連想させるような苦しいこと、
大変な問題・
課題かも知れません。

 「谷」と言われるよう
落ち込んだ所、
絶望のどん底
かも知れません。
 私たちの生涯には、
そのような苦しみ、
悲しみ、悩みがあります。

 しかし、
谷は水が豊富に
得られる所でもあるのです。

 そこには
その苦しみを通してしか
得ることの出来ない
恵みもたくさんあります。

 また、
谷から始まり
どんどん上っていく

 それは恵みの高嶺へと
続く道なのです。

 そして何よりも、
その「死の陰の谷」
と言われる所でも、
私たちの主イエス様は、
私たちと共に
いてくださるのです。


『ジョン』
 

神さまの御心
 
「主よ。
あなたの道を私に知らせ、
あなたの小道を私に教えてください。」
(詩篇25:4)
 
クリスチャンは自分の人生を
歩みながら神さまの御心を求めます。
 
でも自分が神さまのみこころを
選んでいるのかどうか分からないこともあるし、
確信が持てないこともあります。
 
どうすれば御心が分かるのでしょうか?
 
私は、
神さまの御心というのは
大きな川の流れのようだと理解しています。
 
川は一つの方向に向かって流れていきます。
 
神さまの御心という「川」は神さまが喜び、
神さまの栄光を表す方向に流れるのです。
 
広い川の流れの中で、
私たちは小舟に乗って色々な方向を選ぶことができます。
 
神さまの御心には、
私たちが自由に選ぶ選択も含まれているのです。
 
(たか)
 

見ているだけで
 
「私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、
主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、
その宮で、
思いにふける、そのために。」
(詩篇27:4)
 
 見ているだけで癒されるもの、
元気になるものがありますか。
 
 それを見ていたら幸せになれるし、
時間がたつのを忘れてしまうこともあるでしょう。
 
 神の子どもである私たちにとっては、
イエスさまを仰ぎ見ること、
そして讃美することでしょうか。
 
 日曜日、
教会で思いっきり讃美すること、
また、
毎日のどこかでイエスさまのことを考えること、
これは私たちの心を元気にさせる源です。
 
(than)
 

隠れ場
 
主が、悩みの日に隠れ場に隠し、
その幕屋のひそかな所に私をかくまい、
岩の上に私を引き上げてくださるからだ。
《詩篇275
 
 わが家のネコのお気に入りの場所が2ヶ所あります。
 
1つは「たんすの上」もう1つは「ベッドの下」です。
 
気分によって使い分けているのかどうかわかりませんが、
上のお気に入りにいない時は、
たいてい下の隠れ場にいます。
 
 わたしたちもホットする場所ってありますよね。
 
自分のベッドの上だったり、
お気に入りのソファーだったり、
あるいはトイレとか・・・。
 
 神様は、
わたしたちが悩む時、
隠れ場に隠してくださるとあります。
 
心が傷つくことを言われたり、
やられたりした時も、
友達や先生に誤解されてしまった時も、
自分が嫌になってしまった時も、
「ここにおいで」と優しくかくまい、
心を修復してくださるのです。
 
 ”神様の隠れ場”をもっと利用しましょう。
りべ
 

●御顔を見る
 「あなたに代わって、
私の心は申します。
『わたしの顔を、慕い求めよ。』と。
主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。」 
 ≪詩篇27:8

 
今、
小さな子供の目が毎日、
私を見つめています。

 目が合うとニッコリ。

 しばらくそっちを見ないでいるとプンプン。

 何を求めているわけでもなく、
顔と顔とを合わせる。

 そんな単純なことに喜びを見出し、
全身でその喜びを表している赤ちゃんの姿。


でも、
そんな小さな瞳に、
とても大切なことを
教えられたような気がします。

 私たちは、
「神様、あれをしてください!」
「神様、これを与えてください!」
何かをしてもらうこと
何かを与えてもらうことを求め、
それによって一喜一憂してしまうのですが、
神様の御顔を見ること。

 神様に目を向け、
また神様も御顔を
私に向けてくださる。

 このことこそが、
私たちにどんな大きな
祝福と恵みであるのか、
それを忘れてはいけないよ、と。

 御顔を慕い求める者でありましょう。
 
『ジョン』
 

大事なものを預ける
 
「私のたましいを御手にゆだねます。」
(詩篇31:5)
 
一生のうちでほとんど手にすることができない
とても大切なものを運んだことがあります。
 
それを手にして運んでいるときは、
さすがに緊張しました。
 
そして、
それを相手に渡したとき、
全身から力が抜けるくらいほっとしたことを覚えています。
 
大事なものをゆだねると、
ほっとする、
平安があると言うことを身にしみて教えられました。
 
私たちの将来も、
私たちの心も、
どんなものでも主にゆだねることができたなら、
すばらしい平安が私たちを待っています。
 
(than)
 

【罪を隠さないで】
 
「幸いなことよ。
そのそむきを赦され、
罪をおおわれた人は。」
詩篇32:1
 
 このみことばはイスラエルの王さまダビデのことばです。
 
ダビデは、
大きな罪を犯しました。
 
そしてその罪が見つからないように、
正しい人を犠牲にして自分の罪をおおい隠しました。
 
でも、
神さまはちゃんと見ておられました。
 
やがて、
神さまがその罪を知っておられることを
預言者によって知らされたダビデはどうしたでしょうか。
 
隠していた罪を神さまの前に出して、
悔い改めました。
 
驚くことに、
今度は神さまがその罪をおおって下さったのです。
 
罪に心を悩ませていませんか。
 
神さまの前に持ち出してください。
 
神さまは私たちの罪をおおってくださるのです。
 
なぜ?
 
イエスさまが私たちに変わって
十字架で死んでくださったからです。
 
子基 頼喜
 

遠足バス
 
「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」
詩篇37:7
 
 「待つ」って、難しいことです。
 
私は、大失敗をした経験があります。
 
教会学校の遠足で、
少し遠くまで路線バスに乗って行った時のことです。
 
初めて会計を任されて、
人数確認とバス賃の計算・支払いをすることになりました。
 
1日を楽しく過ごして、
帰りのバス停でのこと、
丁度、バスが来たので、
先に着いた子供たちが喜び、
そのまま、私も一緒に乗ってしまい、
バスは発車しました。
 
が、全員揃ってはいなかったのです。
 
遅れてバス停に着いた先生と数人の子供たちは、
先生が持っていたお金で、
何とか、教会に帰って来ることができました。
 
「待つ」って、とても大切なことです。
 
(ふ)
 

「しゃべりっぱなしの神さま?」
 
「主は、
私のほうに身を傾け、
私の叫びをお聞きになり、
私を滅びの穴から、
泥沼から、
引き上げてくださった。」
(詩篇 40:1,2)
 
毎日毎日たくさんのみことばを読んできましたね。
 
みことばは神さまから私たちへのメッセージです。
 
私たちは聞く立場です。
 
でも神さまは、
一方的にしゃべって終わり、
という方ではありません。
 
私たちの声も聞いてくださる方です。
 
しかも、
身を傾けて、
です。
 
小さな子どもと話すとき、
しゃがんであげるとうまくいきます。
 
目線が同じになるし、
小さな声でも
耳を近づけることができるからです。
 
神様は天の高いところから私たちを
見下ろしておられるのではなく、
身を傾けて、
体をぐっと乗り出すようにして、
私たちの叫びを聞いてくださるのです。
 
同じつぶやくのなら、
神さまに向かってつぶやき、
ささやき、
叫んでみませんか。
 
神さまは必ず聞いて、
答えてくださいます。
 
gsh
 

WWJD?
 
「わが神。
私はみこころを行なうことを喜びとします。」
(詩篇408
 
 今年の父の日にWWJD?
 
という文字が刻まれた携帯ストラップをもらいました。
 
これは、What would Jesus do?の頭文字で、
「イエスさまなら、どうされるだろう?」という意味です。
 
私はこの文字を見るとき
「ここにイエスさまがおられる」ことを意識しています。
 
相談事にメールで返事をしようとするとき、
「イエスさまなら、なんと返事するだろうか?」と考えてメールを打ちます。
 
中高生のみんなも色々なことで悩むと思いますが、
そんなとき、
イエスさまなら…と考えてみて。
 
出番はまだかとイエスさまはご自分の名前を
呼んでくれる人を待っているのです。
 
(友)
 
 

目をさましてください
 
 起きてください。主よ。
なぜ眠っておられるのですか。
目をさましてください。
いつまでも拒まないでください。
詩篇44:23
 
 寝坊した!
 
 起こしてくれるはずの親が
なんと寝坊をしていた!
 
 お弁当もできていない
いっしょうけんめい起こしてみるけど
疲れ切っているみたいで
まるで起きようとしない
 
 それでこっちも大遅刻
 
 大事なときに
何もしてくれないで
眠り込んでいる
今、ほんとに助けが必 要なのに
神さま、何もしてくれない
眠り込んでいるみたいに
 
 もう、神さまに頼るの、やめよっかな?
 
 それとも、起きてくださいよぉと
いっしょうけんめい
祈ってみようかな。
 
 祈ってみようよ、やっぱり。
「なた」
 

「平安な心」
 
「神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。」
(
詩篇461)


 平安な心ってどんな心だと思いますか?

 何があっても平気でいられる心でしょうか。

いいえ。

 平安とは、
何も感じない心ではありません。

 イエス様も十字架に
架かる前には葛藤を覚え、
涙ながらに祈りました。

 平安とは、
嵐のような心の中に
灯される希望と慰めの光だと思います。

 壁にぶつかって苦しんだり、
悩んだり、
そんな中でこそ神さまからの平安を
体験することが出来ます。

 “苦しむとき、そこにある助け”です。

 大切なのは苦しい時に
何事もないように平気な顔をして
我慢することではなく、
泣きながらでも、
力を注いでくださる神さまに
助けを求めながら歩いていくことです。

 苦しんでいるときにこそ、
神さまはより近くにいてくださり、
共に目の前の山を越えようと
手を差し伸べて下さいます。

 その事実が分かる時に
心に訪れる安心感―神さまが一緒なら、
きっと乗り越えて行けるという希望こそが、
平安な心です。

 苦しむとき、
避け所である神様を覚えましょう。

(
アップル)
 

恵みを思い巡らし
 
 神よ。私たちは、
あなたの宮の中で、
あなたの恵みを
思い巡らしました。
……
神は私たちを
とこしえに導かれる。
詩篇48:9,14
 
 「スマホ」なんて
言葉がまだ無かったときから
スマートフォンを使ってきたくせに
今になってガラケーに戻ろうかなと
かなり真剣に考えてます
 
 だって毎月の支払いが高いんだから
 
 だけど
 
 やっぱりスマホは手放せません
 
 それはGPSで自分の場所が
簡単に確認できる便利さ
そして自分の近くに何が
あるのか確認できる便利さ
 
 牧師も営業みたいなもので
外に出て活動することが
多いものなんで
GPS付き携帯を体験してしまったら
もうガラケーには戻れない
 
 自分が神さまの前のどこにいるのか
自分の心が神様に対して
どのあたりにいるのか
それを確認する神の国のGPS
 
 いろいろあるだろうけど
毎日のディボーションなんか、
心のGPSだと思う
 
 人工衛星からの電波じゃなくて
聖霊の光に照らされて
自分の立ち位置を確認する大切さ
 
 これを体験してしまったら
ディボーション無しの毎日に戻れない
 
 朝でも、昼でも、夜でも
自分にあった時間を見つけて
ディボーションの時間、とっておこうよ
 
「なた」
 

友の裏切り
 
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、
あなたのことを心配してくださる。
主は決して、
正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」
詩篇55:22
 
 信頼していた友達に裏切られると、
かなりショックが大きい。
 
私は、
いじめられた時も、
転校してなかなかなじめなかった時も
「学校行くの嫌やな」と思いつつ、
けっこう頑張って行っていた。
 
けれど、
友達だと思っていた子に、
お金を盗まれたことがあった。
 
次の日「学校行かん!」と初めてだだをこねた。
 
お金を盗んだ子らは、
同じ学校の子ではなかったけど、
ショックが大きすぎて、
学校に行く気になれなかった。
 
結局は行ったのだけれど、
信頼を裏切られるのはかなり辛いことだ。
 
 この詩篇55編は、
ダビデが、
信頼していた側近アヒトフェルに
裏切られたことが背景になっているのではないかと言われている。
 
私たちも、
心配してくださる神様に辛い思い、
重荷をゆだねていきたい。
 
「おばあちゃん」
 

どんなときにも
 
「民よ。
どんなときにも、
神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神は、
われらの避け所である。」
(詩篇62:8)
 
 私が中学一年生のときです。
 
ある雨の日、
学校に遅刻をしてしまいました。
 
私は走って学校に行き、
校舎に入りましたが、
玄関で足を滑らせてこけてしまったのです。
 
かばんと傘を持ち、
両手がふさがっていて、
手をつくひまもなく、
ひじからこけてしまいました。
 
その結果、
ひじを複雑骨折して、
すぐに入院。
 
手術をすることになりました。
 
初めて手術を受けるので怖くて仕方がありませんでした。
 
私たちはどんなことが人生の中で起こるのか、
予測することはできません。
 
聖書は「どんなときにも」主に信頼するようい励ましています。
 
それは、どんなときにも神さまが助けてくださるからです。
 
(たか)
 

自分にとっての神さま
 
「祈りを聞かれる方よ」
(詩篇65:2)
 
あなたにとって神さまはどういうお方でしょうか。
 
救い主、
私たちを守って導いてくださる方、
いつも一緒にいてくれる方・・・。
 
いろんな答えが出てくるでしょう。
 
この詩篇を書いたダビデは、
神さまのことを「祈りを聞かれる方」と言っています。
 
とってもすばらしいことですね。
 
私たちが祈るとき、
神さまが聞いておられることを
あまり意識していないこともあるでしょう。
 
でも、
神さまは私たちの祈りに
ちゃんと耳を傾けていてくださるのです。
 
あなたの祈りは神さまに届いていますよ。
 
(than)
 

しあわせ
 
「…しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
…しかし私にとっては、神の近くにいることが、
しあわせなのです。…」
(詩篇 73:23、28)
 
 「しあわせですか?」
 
 ―今は、
自分で問うことも、
だれかから問われることもないのかもしれませんね。
 
 でも、
これからだんだんと無視できなくなってくる質問です。
 
 しあわせは、
生きて行くためのもとになる力です、
とある作家は言いました。
 
 しあわせになるぞ!と、
それを目標にして、
お金や名声やステキな出会いを
手に入れようと上っていくのが
人生だと思っていたら、
それはちょっと違うかも。
 
 しあわせだから、
その力で生きていく
…むしろそういう見方のほうが
正しいみたいです。
 
 じゃあ、
そのしあわせって、
なに?
 
 「神の近くにいること」。
 
 これは、
ゼッタイに生きる力になる。
 
 *神さま、
  今この時をあなたといっしょに生きている、
そこにしあわせを実感します。
 

池切れ
 
「あなたの口を大きくあけよ。
わたしがそれを満たそう。」
《詩篇8110
 
 大事な時に携帯電話の電池が切れてしまうことがあります。
 
家ならばすぐに充電器につないで使うことができますが、
出先ではそうもいきません。
 
 中学生の末っ子は、
朝練 授業 部活・・・と1日の大半を学校で過ごして帰って来ます。
 
そしてお風呂の中で、
「あ~だった」
「こ~だった」
「ちょ~笑った」
「まじ大変だった」
と延々と報告が続きます。
 
娘なりにけっこう気をつかってもいるのでしょう。
 
わたしは受け答えしながら、
シャワーで体と心の汗を流し、
ぐっすり眠り、
心も体も充電満タンで明日目覚めますように・・・と祈ります。
 
 わたしたちには、
心の充電器があります。
 
神様は「あなたの口を大きくあけよ」とおっしゃっています。
 
心にみことば・恵み・力・を満タンにしていただいて、
11日進んでいきましょう。
 
りべ
 

『みまえにひれ伏す』
 
「その力があなたにあり」
(詩篇84:5)
 
♪みまえにひれ伏す、
卑しき身はへりくだしをもて祈り求む。
ささぐるものなく、
よき業なし。
恵みにてたまえただ愛をば・・・♪
 
先日敬虔な聖徒にご紹介された賛美歌です。
 
アーメンですよね。
 
世間ではよく「自分の力で」
と連呼します。
 
結果、
自分の力の限界を知らされた時、
多くの方が挫折してしまいます。
 
神様のおことばは、
自分の力にかわって、
その力の源が主にあることを教えています。
 
自分には善き業も何もないけれど、
主には無尽蔵な力があります。
 
賛美歌の英訳では
あなたの力があればできると賛美しています。
 
この当然のわきまえと御前でのへりくだりを
生涯忘れない信仰者になりたいです。
 
でしょ!
 
R
 

確認メール
 
「窮した者の祈りを顧み、
彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。」
《詩篇10217
 
 CMでこんなのがありました。
 
母と娘の電話。
 
母「さっきメール送ったから・・」
娘「メールした意味がないじゃない・・」
母「だって、ちゃんと届いたか心配だったから・・・」
ほのぼのとした笑いのCMですが、”祈り”について考えさせられました。
 
 神様に祈るとき、
「ちゃんと届いたか心配・・・」なときありませんか?
 
「神様、わたしの祈りは届いていますか?」
と確認メールを打ちたいありませんか?
 
大丈夫、
主イエス・キリストによる祈りは、
間違いなく神様のところに届いています。
 
祈りがなかなか答えられない時もあるでしょう。
 
でも神様に届いていないのではありません。
 
神様が知らんぷりしているのでもありません。
 
神様に忘れられているのでもありません。
 
 神様は、
一番良い時に、
一番良い方法で答えてくださいます。
 
それは、
自分が願った形でない時もあるでしょう。
 
けれども、
お祈りしている中で導かれたことは、
わたしにとってベストなのです。
 
りべ
 

 
『何一つ忘れるな!!??
 
「主の良くしてくださったことを
何一つ忘れるな。」
詩篇103:2


 何一つ忘れない、
なんてことできない!!
思った人もいるのでは・・・。

 確かに、
テスト勉強でこれを
全部覚えよう!
と思っても、
実際のテストで
思い出せない!!という経験、
あります。

 でもこれはダビデ王様の
自分への語りかけ。

 だとすると、
人に命令しているのとは
意味が違ってきます。

 自分を励ますように、
自分に自覚を促すように、
神様の恵みを
忘れちゃいけないよ・・・
と言っているように
聞こえます。

 私たちも神様の恵みを
全部覚えていることが
できなくても、
きょう、
神様からいただいた
恵みに気づき、
感謝することはできますね。

(かわこ)
 

「恵みが満ちている」
 
「主よ。あなたのみわざは
なんと多いことでしょう。
あなたは、それらをみな、
知恵をもって造っておられます。
地はあなたの造られたもので満ちています。」
(
詩篇10424)


私はこの詩篇が大好きです。

 生き生きと動かれる神さまの姿。

 ご自分が造られたものを
愛しそのものの為に心を
配っておられる様子。

 格別に、
ご自分の型に似せて造った人間をいとおしみ、
必要な物を与え、
養う神さまの優しさ。

 私たちに注がれている神さまの
“恵み”=神さまの一方的な愛を
心から感じることが出来る詩篇です。

 誰にも自分を理解してもらえない、
私は一人ぼっちだと感じるその時に、
私はこの詩篇を思い出します。

 “地は神さまの造られたもので満ちている”
…そしてその一つ一つに神さまは目を注ぎ、
知恵を持って必要な全てを備え、
毎日を過ごすことが出来るようにと
心を配って下さっている…大丈夫。

 私は一人じゃない。

 この神さまがいつだって一緒にいて下さる。

 私たちを取り囲む全てを通して
ささやかれる神さまの声に耳を傾けよう。

(
アップル)
 

「祈りを通しての交わり」
 
「主は、
私に耳を傾けられるので、
私は生きるかぎり主を呼び求めよう。」
詩篇1162
 
良い交わりには
「聞く」ことと同時に
「話す」ことがあります。
 
祈りは神様との会話だと言われますが、
祈りを通して神様に話すことができます。
 
イエス様は私たちにとって信仰の模範者ですが、
イエス様も神様に祈り、
神様との交わりの時間を大切にしていました。
 
どんなにたどたどしくても、
親が赤ちゃんや子どもの声に耳を傾けるように、
神様は私達の祈りの声に耳を傾けておられます。
 
会話ですから、
どんなことでも話していいのです。
 
うれしかったこと、
悲しかったこと、
お願いしたいこと、
感謝だったこと、
不安に思っていること、
何でも話すことができます。
 
さあ、
今日も神様に話してみましょう。
 
【タマ】
 

ねがいごとは なあに?
 
「あなたは、私の神。
私はあなたに感謝します。
あなたは私の神、
私はあなたをあがめます。」
(詩篇 11828
 
さーちゃんは3歳の女の子。
 
たなばたの日に、
おかあさんといっしょに保育園に遊びに来て、
短冊(たんざく)に願い事を書いていました。
 
まだ字が書けないさーちゃんにお母さんがたずねました。
 
「さーちゃん、さーちゃんのねがいごとって、なあに?」
すると、
さーちゃんは「かみさま、ありがとう」とこたえます。
 
おかあさんは、少し驚いて、
「えっ?おねがいすることを書くのよ。
ほしいもの、とか、なりたいひと、とか。
さーちゃんがおねがいしたいことって、どんなこと?」
 
そうしたら、さーちゃん。
「かみさま、ありがとう。」おかあさんは、
クレヨンで「かみさま ありがとう」と書きました。
(このエピソードがもとになって、
さんびか「ねがいはありがとう」が生まれました)
 
*   神さま、
私の神さまでいてくださって、
ほんとうにありがとうございます。
 
〝メガネいちば〟
 

「御言葉を通しての交わり」
 
「どのようにして若い人は
自分の道をきよく保てるでしょうか。
あなたのみことばに従ってそれを守ることです。」
詩篇1199
 
誰かと交わりの時間を持つなら「聞く」ことが大事です。
 
「聞く」ことは良いコミュニケーションの基本です。
 
神様との交わりでも、
神様の言葉に耳を傾けることがなければ、
真の交わりとはいえません。
 
神様は聖書の言葉を通して、
私たちに語りかけてくださいます。
 
神様にとって私たちがどういう存在であるのか、
また私たちがどのように生きたらいいのか、
人生の最も大切なことを
神様は聖書をとおして教えて下さいます。
 
ですから毎日時間を決めて聖書の言葉を
通して神様の語りかけに耳を傾けましょう。
 
ただのお勤めや習慣として読むだけでなく、
神様の声に耳を傾けるようにして読みましょう。
 
あなたという人格に神様は語ってくださいます。
 
【タマ】
 

「キープするってむずかしい」
 
「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。
あなたのことばに従ってそれを守ることです。」
(詩篇 119:9)
 
わざわざ「若い人は」って書いてあります。
 
本当は若くない人だって難しいことがあるんです。
 
自分の道を、
自分自身をきよく保つのは、
そしてそれを保ち続けることは大変です。
 
でも、
神さまはそれを願っておられ、
必要な力をくださいます。
 
みことばに従うこと、
守ることです。
 
え、
それが難しいって?
そう、
でも、
神さまに求めたら、
神さまは必ず、
従う力、
守る力を与えてくださいます。
 
神さまのお約束は中途半端では終わらないのです。
 
みことばを心に貯金しましょう。
 
gsh
 

「ガードレール」
 
「私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。
どうか私が、
あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。」
(詩篇119:10)
 
横断歩道がすぐ近くにあるのに、
たくさんの人がその手前で道路を横切って渡っています。
 
駅に少しでも早く着くには、
そちらの方が近いからです。
 
ある日、
ここにガードレールが設置されました。
 
でも人々は、
なおガードレールを乗り越えて駅へ突き進みます。
 
本当は安全のために作られたガードレールですが、
一部の人にとっては、
邪魔物でしかありません。
 
無視して進んだ結果、
事故が起こります。
 
でも、
自分ではなく、
他の人が事故に遭った場合、
相変わらず乗り越えるのです。
 
あなたにとって、
神さまのみことばは、
ガードレールですか、
それとも邪魔な存在ですか?
(後日、
ここには高さ2mのフェンスができました!)
 
gsh
 

「コレクション」
 
「あなたに罪を犯さないため、
私は、
あなたのことばを心にたくわえました。」
(詩篇 119:11)
 
机を整理していたら、
引き出しの奥から
昔集めてしまっておいたものが出てきました。
 
プレゼントのラッピングに使えそうだな、
と思ったリボンやクリップ、
シールなどこまごましたものです。
 
数年たったら、
そこにしまっていたことさえ
忘れてしまっていた私でした。
 
みことばを毎日読みながら、
「あ、これはすぐに役に立つ(?)」とか
「今は意味が分かんない」とか、
感じることは色々です。
 
でも、
どんなみことばでも、
どうぞ心の引き出しにしっかりと「たくわえて」ください。
 
必要な時、
必要なタイミングで、
神さまはたくわえたみことばを思い出させてくださいます。
 
引き出しを開けたら空っぽで、
大慌てすることがないように!
 
gsh
 

相談相手
 
「まことに、
あなたのさとしは私の喜び、
私の相談相手です。」
(詩篇119:24)
 
いろいろなことにぶつかるとき、
何でも真剣に耳を傾けてくれる
相談相手がいたら心強いですね。
 
こっちの話を聞いてくれて、
一緒に考えたり悩んだりしてくれる。
 
そのうえ、
正しく的確なアドバイスをしてくれるなら、
最高です。
 
このような相談相手はなかなか見つかるものではありませんが、
イエスさまを信じている私たちには、
神のことばである聖書は最高の相談相手となってくれます。
 
こんなにすばらしいものがすぐ手もとにあるのです。
 
(than) 
 

全然、似てないよ!
 
 先日、17年も逃亡生活をしていた
指名手配犯が逮捕されました。

 当初の手配写真、去年の写真、
防犯カメラの写真が
連日TVで流れていました。

 逮捕直後の映像を観て思いました。

 全然、似てないと。

 人間って、同じ顔でも正面、真横、
斜め上、斜め下、見る角度によって
別人のように見えるものですね。


 聖書のみことばもそうです。

 同じ聖書の箇所の説教でも、
語る先生によって、まるで違う
お話のように感じた経験はないですか? 

 みことばは生きているので、
読む時の年齢、状況、
心境によって、教えられることが
異なることがあります。


 一回、読んで満足してしまわないで、
ずっと読み続けましょう。

 色々な角度で見てみましょう。


第一印象が悪くても、
つきあっていくうちに良さがわかり、
親友になることだってあるのです。


 「まことに、
あなたのさとしは私の喜び、
私の相談相手です。」
詩篇119:24

(シロクマ)
 

【頼れる相談相手】
 
「まことに、
あなたのさとしは私の喜び、
私の相談相手です。」
詩篇119:24
 
 困った時、
悩んだ時、
誰に相談しますか?
 
友だちや先生、
お父さん、
お母さん?
 
周りに沢山の相談できる人がいるかもしれません。
 
しかし、
なんと「さとし(聖書)は…相談相手」と書いてあります。
 
聖書は字ばかりで、
読んでおもしろいところもあるけど、
チンプンカンプンのところばかりで、
とても相談相手だとは思えません。
 
ところが、
なんと聖書が一番頼りになる相談相手なのです。
 
なぜなら、
これは神さまが、
この世界を旅する私たちのために、
必要なこと、
注意すること、
力になることを書き送って下さった手紙だから。
 
必要な時、
聖書のことばは立ち上がって、
私たちに教えてくれます。
 
これホント!
 
少しずつでも読みましょう!
 
本当に頼れる相談相手だって必ずわかるから!
 
子基 頼喜
 

無視されない
 
「私は私の道を申し上げました。
すると、あなたは、
私に答えてくださいました。」
(詩篇119:26)
 
 メールを出したらどれくらいで
返事が返ってくるでしょう。

 なかなか返事がもらえなかったら、
無視されたというような気分で、
いやな気持ちになるかもしれません。
 
 ところで、
祈ったときに、
神さまから返事は返ってくるのでしょうか。

 聖書は、
返ってくるとはっきり答えています。

 私たちは無視されることはありません。

 でも少し遅いと思うことが
あるかもしれませんが、
神さまがベストのタイミングで
返事をしてくださるからです。

 神さまは私たちを
無視されるような方ではありません。

(than)
 

「たった1度の違いで・・・」
 
「私は、
あなたのみおしえからそれませんでした。」
(詩篇 119:51)
 
初めて分度器の使い方をならった時のことです。
 
先生が、
黒板のすみっこに小さな角を書きました。
 
30度の角度の線をどんどん延長して、
黒板一杯に引きました。
 
次に、
それに重ねて、
31度の角度を測り、
同じように黒板の端まで線を引っ張りました。
 
どうなったと思いますか。
 
二つの線は延びれば延びるほど離れていってしまいました。
 
「たった1度、
角度を間違えると、
たとえばロケットに乗って宇宙へ行った飛行士が、
地球に戻って来られなくなってしまいます。」
と先生は教えてくれました。
 
それる、
というのはたいしたことじゃない、
と思わないでください。
 
結果に大きなずれが生まれてくるものですから。
 
gsh
 

 「変わらない定規」
 
「主よ。あなたのことばは、
とこしえから、天において定まっています。」
(詩篇 119:89)
 
技術の授業で習ったことがあります。
 
製図や作図には竹製の定規を使いなさい、と。
 
専用の竹の定規を忘れてしまい、
筆箱に入っていたプラスチックの定規で
代用しようとする生徒がいると、
先生はものすごく怒りました。
 
プラスチックの定規は、
気温によって伸び縮みし、
目盛りが不正確になります。
 
そんな定規で書いた図をもとに、
棚や椅子などを作ると
狂いが生じて歪んでしまうからです。
 
神さまのみことばは、
永遠の昔から定まっていて、
変わらないものです。
 
信頼できるものです。
 
これから人生の設計図をひこうとする時、
変わらない、
歪まないものを基準としていくことは、
大切です。
 
gsh
 

 私たちを照らすともしび
 
 「あなたのみことばは、
私の足のともしび、
私の道の光です。」
 (詩篇119:105
 
 2011.3.11 の東日本大震災の日、
雪の降る寒い夜で、
停電のために明かりがどこにもなく、
ほんとうに暗い夜でした。
 
 私たちは普段、
何も考えず、
電気の明かりのあることが
当然と思って生活しています。
 
 でも、
ある日突然その明かりがなくなると、
何も見えず、
歩くことも困難であることに気づきます。
 
何も見えず、
暗闇の中であちらこちらにぶつかりながら歩くことが、
どれほど危険なことか・・・。
 
経験してみて初めてわかります。
 
 たとえ暗闇の中にあっても、
ほんの少しの明かりがあれば
安心して歩くことができますよね。
 
 私たちが転んだり躓いたりすることなく、
安全に安心して歩くためのカギが聖書の中に書かれています。
 
それがみことばです。
 
 決して消えることなく、
私たちが迷わないように、
転んだり躓いたりすることがないように、
私たちの足もとをいつも照らし、
安心して歩くことができるようにしてくださっている
神さまのみことばを大切にしながら、
しっかりと歩んでいきましょう!
 
「ぴよ」
 

国語力を養おう!
 
 国語力が大切だとある教育者が言っていました。
数学でも、文章題では必要だし、
外国語も母国語以上にはならないというし、
なるほどと思いました。

 隠れた主語、述語をも読み取れないと、
書かれた文を理解するのは難しいとのことでした。
 聖書を読み解くのも、国語力が必要かなと思います。

 ある年、その年のみことばとして、
ヨハネ21:22の
「あなたは、わたしに従いなさい。」
をいただきました。

 その証しをしたところ、
あるクリスチャンの先輩から
「それなら、なぜ、あなたはわたしに
従わないのか?」と叱られました。

 イエス様がおっしゃった言葉なので、
「わたし」とはイエス様のことです。

 先輩のことではありません。

 とんだ勘違いです。


 国語の勉強を大切にしてね。

 せっかくのみことばを間違って理解しては大変です。


「あなたのさとしは、とこしえに義です。
私に悟りを与えて、私を生かしてください。」
詩篇119篇144節

(シロクマ)
 

「神さまのご計画」
 
「あなたの恵みによって私の声を聞いてください。
主よ。
あなたの決めておられるように、
私を生かしてください。」
(詩篇 119:149)
 
将来について、
考えたり決めたりしていることはありますか。
 
夢や希望がたくさんあったり、
不安もあったり、
中にはなーんにも考えていない、
という人もあるかもしれません。
 
計画の有無にかかわらず、
その中心はもちろん自分だと思います。
 
でも、
神さまがあなたのために
決めておられる計画についても、
ちょっと立ち止まって考えてみてください。
 
神さまは、
私たちの声を聞いてくださいます。
 
同時に、
神さまの声も、
私たちに聞いてほしいと
願っておられるのではないでしょうか。
 
私が生かされる道って、どんなものでしょうか。
 
gsh
 

山に向かって目を
 
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。」
(詩篇 12112
 
ハンセン病の国立療養所で、
精神科医として長く務めた神谷美恵子さんは、
自分の無力さに打ちのめされた時、
よく山の稜線(りょうせん)を眺めたのだそうです。
 
そのたびごとに「その情景に未知なるもの、
未来と永遠に属する世界があることを望み見ながら
〝心に灯がともる〟こと」を経験したのでしょうか。
 
このことばに影響されて、
窓越しに、名も知れぬ遠くの山々に目をやり、
しばらくの時を過ごしていると、
何となく軽くなった感じがしましたよ!
(勉強の合間の気分転換に、いいかも。)
目を向けようにも、
山がない…とつぶやく海辺にお住まいの人、
都会にお住まいの人へ。
 
山でも、海でも、空でも、何でも結構。
 
要は、目を上げましょう。
 
神さまの助けは、必ず来ます!
「天地を造られた主」を仰ぐのですから!
 
*   神さま、
あなたの助けを、今日も待ちます。
 
〝メガネいちば〟
 

努力しても報われない?
 
「主よ。あなたは私を探り、
私を知っておられます。」
(詩篇139:1)
 
目標に向かって頑張っている人がたくさんいます。
 
皆さんもきっと、
部活で大会があれば、
それに向かって一生けんめい練習するでしょう。
 
でもどんなに頑張ってもうまくいかないこともあるし、
練習ではうまくできても本番では失敗することもあります。
 
努力したことが水の泡になることも、
人生にはたくさんあるのです。
 
でも忘れないでくだい。
 
神さまは、
私たちの心を探り、
私たちのことを良く知っておられるのです。
 
神さまはあなたのことを一番よく分かっています。
 
だから、
たとえ報われなくても、
神さまに結果を委ねることができるのです。
 
(たか)
 

明るく過ごすために
 
 「神よ。私を探り、
私の心を知ってください。
私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、
ないかを見て、
私をとこしえの道に導いてください。」 
(詩篇139:2324
 
 ある時、
孔子の門人である司馬牛が
君子について尋ねたそうです。
 
 その問いに対して、
孔子は
「君子は憂いがなく、
恐れがない」と答えました。
 
 さらに司馬牛が
「憂いがなく、
恐れがなければ、
それで君子といっていいのでしょうか?」
と尋ねると、
 
 孔子は、
「内に省みてやましいところがなければ、
一体、
何を憂え、
何を恐れるというのか」と言ったそうです。
 
 確かに心に何もやましいことがなければ、
明るく、
心も平安でいられますよね。
 
 私たちは、
神さまに毎日、
心の中を点検して頂きながら、
暗い部分がないよう・・・
もしあったならば、
神さまに扱って頂いてきちんと処理をして、
何のわだかまりもない状態で、
いつでも穏やかで平安な心でいられるといいですね。
 
 それには、少しでも早く神さまに扱って頂くことがカギです。
 
「ぴよ」