「賛美」

「ラッパを吹き鳴らす者、
歌うたいたちが、
まるでひとりででもあるかのように
一致して歌声を響かせ、
主を賛美し、
ほめたたえた。」
(Ⅱ歴代5:13
 
 音楽の授業で
合唱の練習をしていた時のこと。
 
 先生が、
私に近づいて来て
「もう少し小さい声で歌って」と言った。
 
 大きい声で歌うことは
良いことだと確信していた私は、
地声で、
他のパートと合っていない事に
全く気づいていなかった。
 
賛美する時、
そこにイエス様がおられるから、
すばらしい!
私の代わりに十字架に
かかってくださったイエス様によって、
罪を赦され、
賛美する者に変えられた。
その感謝の心で1つになることができる。
 
(ふ) 
 

 「神さまの憐れみ」

 
「主はマナセとその民に語られたが、
彼らは聞こうともしなかった。
…しかし、悩みを身に受けたとき、
彼はその神、主…の前に大いにへりくだって、
神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ…」
(第二歴代誌331013
 “バチがあたる”とよく聞きます。

 悪人への神さまの罰
…しかし聖書が描く神さまは、
バチを与える神さまではありません。

 もちろん、
神さまは悪を嫌う正しいお方ですが、
悪い人にただちに罰を下すような
恐ろしい神さまではありません。

 ユダの王であったマナセは、
史上最悪な王でした。

 自分だけではなく人も惑わして、
神さまが嫌われるたくさんの悪をしました。

 すぐにでも罰を与えて良かったはずですが、
神さまは何度も悔い改めるように語ります。

 それだけでなく、これほどの悪王マナセを、
神さまはたった一度の
悔い改めでお赦しになります。

 数多くの悪よりも、
たった一度の誠実な態度に目を留める神さま。

 この神さまの大きな憐れみの心が無かったら、
私たち人間はすぐにでも滅ぼされているでしょう。

 一人の罪人が帰ってくることを
心から願う神さまの憐れみと忍耐が十字架です。

 この十字架によって生かされていることを覚え、
感謝しましょう。

(アップル)