「燃え尽きない柴」
「なぜ柴が燃えていかないのか、
あちらへ行ってこの大いなる光景を
みることにしよう。」
《出エジプト記3:3》
“一本の木が燃えている。
ああ大変だ!
でも待てよ、
あの木は燃えているのに、
ちっとも燃え尽きない。
どうしたことだろう?”
それがモーセの心を
一瞬にして捕らえました。
無関心、
無気力、
無感動。
それが今の時代を
表していると言われます。
しかし、
神様は、
そんな一人ひとりの心を、
あっと言わせるものをもって
振り向かせようとしておられるのです。
「どうしてだろう?」
「なんでだろう?」
私たちの人生には
いろいろな『?』があります。
その小さな疑問、
質問を大切にしましょう。
そこから始まって、
とっても大切なことを
見出すことになるかもしれません。
今日はどんな『?』に
出会えるでしょうか?
神様はたくさんの『?』を通して、
語られるのです。
『ジョン』
「拝む」
「あなたは、
自分のために、
偶像を造ってはならない。
…それらを拝んではならない。」
(出エジプト20:4-5)
「拝む」とは、
「はい」という返事に
つながる言葉だと説明する人がいます。
日曜ごとに礼拝に出席していても、
自分が何に対して「はい、その通りです」
と答えているかによって、
本当のところ何を
拝んでいるかを知る事ができます。
「なんだかんだ言ってもお金が大事」
「楽しくなければ意味ないじゃん」
「今しかできない事をやらなきゃ損」
「夢を追いかけて何が悪いの…」。
色々な言葉が行きかう中、
よそゆきの顔の下の本当の自分は、
何に対して「はい」と言い、
行動しない(できない?)までも、
思いを巡らしているか点検してみましょう。
「はい」と返事をして
決して裏切られないのは神様だけなので、
「わたしだけを拝みなさい」と語られています。
私達をいたずらな失望と
傷から守る為です。
ゆらまり
「しあわせの常識」
「姦淫してはならない。」
(出エジプト記20:14)
みなさん、
これは神様の命令です。
これを犯すことは罪。
罪の払う値は本当に死しかないのです。
世の中の風潮がどうあれ、
友人がどうあれ、
神様は「NO」とおっしゃっています。
それは時代、
国民性を超えた変わることのない命令なのです。
日本ではこの20年あまりの間に急速に姦淫
(結婚前に男女の関係を結ぶこと)が一般化し、
低年齢化しています。
その結果、
家庭崩壊、
尊い幼い生命を奪うことに発展。
一番悲しいのは、
時代とともに世の常識が少しずつズレ、
いつの間にか何ら罪悪感なく
罪を犯す若者たちです。
神様の命令はいつも同じです。
私たちが幸せになるためのものです。
主の常識に従って「NO」
といえる凛とした若者であってください。
(R)