「見よ。
あなたの王があなたのところに来られる。
柔和で、ろばの背に乗って、
それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。」
 (マタイ215)
 
 都に入られた王であるイエスさまは、
柔和な王さま。
 
 だから、
この王が治められるところには、
必ず平和が作られ、
満たされていきます。
 
 この王さまがほんとうに治めてくださるならば、
私たちの心にも平和が生まれ、
育っていくはず。
 
 とげとげしい心や、
人をきびしくさばく心は、
自分にとってもいやなもの。
 
 なくそうと思ってもわき出てしまう
そんな心を変えてくださるのはイエスさまです。
 
 イエスさまに心から
「どうぞ治めてください」
と祈りましょう。 
 

「祈って求めるものは何でも、
すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、
そのとおりになります。」
(マルコ11:24)
 
 そういうことになってるでしょうけど、
実はそうじゃないよね、
と思いますか?
 
 私たちは何でも祈り、
求め、
願ってよいのです。
 
 でも「そのとおり」
じゃないと思えるとき、
すぐにお祈りをやめてしまったり、
神さまを疑ったりするのではなく、
なぜそうなのですか?
 
 と神さまに聞いてみましょう。
 
 思い通りではない時に学んだこと、
教えられたことは、
私たちの心の
ほんとうの糧(かて)となり、
私たちの心を育て、
大きくしてくれます。
 
 そして、
いろいろなことに振り回されず、
受け止める余裕を
与えてくれるのです。
 

「だから、
目をさましていなさい。」
 (マルコ13:35)
 
 受難週の火曜日、
神殿でたくさんのことを教えられたイエスさまは、
やがてご自分がもう一度来られるときのことを
くり返し話されました。
 
 この世界が終わるその時が来る、
ということは確かなことですが、
それがいつなのかはだれも知りません。
 
 だから、
私たちはそれがいつでもいいように、
準備をしなければならないのです。
 
 その準備というのは、
たった一つ。
 
 イエスさまを信じて、
罪をゆるしていただいていることです。
 
 これさえ確かなら、
その時がいつでも大丈夫。
 
 あなたはどうですか?
 

「この女は、
自分にできることをしたのです。」
 (マルコ14:8)
 
 神さまは、
私たちに
「できないことをしなさい」
とは決して言われません。
 
 もし
「そんなことはできない」
と思えることであっても、
神さまがしなさいとおっしゃる時には、
そのために必要な力も
与えてくださるということです。
 
 神さまに祈りながらするなら、
自分でも驚くようなことが
できることを発見するでしょう。
 
 逆に、
「やろうと思えばできるのに、
しようとしない」心は、
神さまが一番きらわれます。
 
 あなたがそれをしないのは、
本当にできないからですか?
 
 今日、
神さまがしなさいと
おっしゃっていると
感じることがあるなら、
一歩を踏み出しましょう。
 

「主が振り向いてペテロを見つめられた。
…彼は、外に出て、激しく泣いた。」
 (ルカ22:61)
 
 私たちが失敗するとき、
注がれるイエスさまのまなざしは、
決して責めるまなざしではありません。
 
 私たちの弱さを私たち自身よりも
もっとよくご存知で、
「そんなあなたのために、
信仰がなくならないように祈っている」
(32)と言ってくださるイエスさまです。
 
 どんな大変な失敗をしてしまったとしても、
イエスさまは私たちにあたたかい、
深い深いいつくしみのまなざしを注いでくださいます。
 
 そして、
リベンジのチャンスをくださいます。
 
 「もうだめ」なことは決してありません。
 
 イエスさまの方を向いてみてください。
 

「キリストは神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
…実に十字架の死にまでも従われました。」
 (ピリピ2:68)
 
 イエスさまの十字架以上に
不当な仕打ちはありませんでしたが、
イエスさまは私たちのために、
ご自分の権利を全部放棄してくださいました。
 
 自分の権利だけに目が向くと、
私たちの心は「もっともっと」
と飢え渇いた怪獣のように
要求し続けることになります。
 
 でも、
私たちのためにすべてを
捨ててくださったイエスさまに感謝して、
イエスさまにならう時、
イエスさまは私たちの心に
不思議な喜びと満足を与えてくださいます。
 
 今日はイエスさまの十字架を思いながら、
「当然してくれるべき」
という思いをちょっとわきに
置いてみましょう。
 

「まだだれをも葬ったことのない、
岩に掘られた墓にイエスを納めた。」
 (ルカ23:53)
 
 イエスさまが十字架で死んでお墓の中に納められていた土曜日、
すべては神さまの敗北であるかのように思われました。
 
 でもそれはほんとうに負けだったのでしょうか?
 
 ちがいます!
 
 その死は、
死を打ち破って、
勝利を得るためにどうしても必要な、
勝利のための始めの一歩にすぎませんでした。
 
 神さまの本当の勝利は、
一見負けに見えるところから
始まることがよくあります。
 
 今見えるところによって
失望してはいけません。
 

「しかし、
今やキリストは、
眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。」
(コリントⅠ15:20)
 
 イースター、
おめでとうございます!
 
 イエスさまがよみがえられたこの日、
私たちは、
「自分がした悪いことによって、
いつか罰を受けなければならないかもしれない」
という心配を、
もう全くしなくてよくなりました。
 
 それどころか、
やがてイエスさまと
永遠に生きられるということが、
確かなことになりました。
 
 ほんとうによかったです。
 
 よみがえってくださったイエスさまは、
今も生きておられます。
 
 心から感謝して、
イエスさまにつながる心を
しっかり確認しましょう。