「レンズ」
 
 
『目が見えるようになるため、
目に塗る目薬を買いなさい。』
(黙示録3:18)
 
小学生の頃から大学を卒業するくらいまで、
視力2.0が自慢だった。
 
運転免許の更新を何回かするうちに
1.5、1.2、と少しずつ落ちてきた時も、
まぁ正常に戻っただけさ、
と気に留めなかった。
 
眼鏡をかけるなんて事、
考えたくもなかった。
 
でも数年前の健康診断の時、
ついでの眼科検診で装着した
レンズを合わせる機材で、
眼前の焦点がピタッと合った時の
衝撃を今も忘れられない。
 
「あぁ、これが眼鏡か!」って感じで。
 
いつの間にか自分の自信や経験を誇って、
我を通すことがないだろうか。
 
心の視力がぼやけているのも気付かずに。
 
何となく不平や不満でいらだっていた原因が、
「信仰」というレンズを通してみると、
ピタッと見えるんじゃないかな。
 
びい
 

「旅の終わり」
 
「神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、苦しみもない。
なぜなら、以前のものが、
もはや過ぎ去ったからである。」
黙示録2134
 
神様と共に歩む旅は、
私たちが神の家に着いたときに終わりを迎えます。
 
そのとき神様は私達の側に立ち
目の涙をすっかりぬぐい取って下さいます。
 
旅の中での多くの苦労、
痛みに素晴らしい報いを与え、
「神様なぜ私にこんなことが」
と思った出来事のすべてに
神様は納得の答えを与え、
あらゆる疑問や疑いは
一瞬のうちに氷解されるでしょう。
 
そしてあなたのために備えられた
最高のものを与えて下さいます。
 
旅は終わりますが、
神様との交わりは永遠に続きます。
 
その交わりには悲しみも、
苦しみももはやありません。
 
喜びと感謝に満ち溢れた
永遠の交わりがそこにあります。
 
あなたはそうした希望の旅の途中にいるのです。
 
今日も神様と共に歩みましょう。
 
【タマ】
 

「永遠を思う」
 
「この病気は一生治らんよ。」
老医師の言葉に少しはショックを受けた。
 
更に症状が悪化すれば、
体のあちこちが強く痛み出すし、
薬も飲み続けなければならないらしい。
 
でも用心して生活すれば、
まだ薬ナシでもよいし、
すぐに悪化するわけでもない、
とも言われ、少し安心した。
 
安心したのは、
そう言われたからだけではない。
 
一生完治しなくても、
やがて一生が終われば心配なくなるわけで、
永遠に完治しないことは何もないからだ。
 
『神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。』
と約束されている。
 
天国で永遠を生きることができる、
とは、何という大きな幸い、
希望、恵みだろうか!
 
びい
 

「おみやげよりも」 
「わたしはそれぞれの
しわざに応じて報いるために、
わたしの報いを携えてくる。」
(黙示録2212
 
 用があって訪問した先での事。
 
 「ごめんください」と
少しだけ玄関をあけた先に
おられた方は、
訪ねていった私よりも、
私が手にしていた
和菓子の紙袋に
目線を注いでいました。
 
 心に覚えた奇妙な感覚を、
今でも覚えていますが、
同じ事をイエス様に対しても、
何度もしてしまうのが私達です。
 
 「今日はどんな風に
お祈りに答えて下さるの?」
「私の好みはよくわかっているでしょ!」
…イエス様はもちろん、
色々な形で私達を
喜ばせて下さいますが、
おみやげよりも、
イエス様ご自身に心の目を
向ける事ができたら、
もっと素敵です。
 
 お菓子は食べたら
なくなってしまいますが、
イエス様は減ったり
なくなったりなさいませんから。
 
ゆらまり