獅子の子落とし
 
 「さまざまな試練にあうときは、
それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです。
 その忍耐を完全に働かせなさい。
 そうすれば、
あなたがたは、
何一つ欠けたところのない、
成長を遂げた、
完全なものとなります。」
 (ヤコブ1:24
 
 獅子は、
子を深い谷底に突き落とし、
這いあがってくる子だけを
育てるといわれているそうです。
 
 これは、
わが子にわざと苦労をさせて、
厳しく鍛えることのたとえですが、
神さまも、
私たちを成長させる時に、
厳しい環境の中に私たちを
置かれることがあります。
 
 誰でも、
苦しみたくはないし、
辛い思いはしたくないですよね。
 
 毎日、
何事も無く
平和に過ごしていければ一番いいでしょう。
 
 でも厳しい環境の中に
置かれるということは、
もしかしたら私たちが
神さまにもっと信頼することを
教えるために必要なのかもしれないし、
もっと祈ることが必要だからかもしれません。
 
 試練の中にいる時は、
それがなぜなのか
解らないかもしれませんが、
そこから逃げずに
祈りながら神さまに信頼して
進んでいくならば、
後から、
自分にとってその経験は
必要なものであったと
知ることができるでしょう。
 
 試練の時こそ、
チャンスと思って
進んでみてはどうでしょうか?
 
「ぴよ」
 

耐え抜いて
 
 試練に耐える人は幸いです。
耐え抜いて良しと認められた人は、
神を愛する者に約束された、
いのちの冠を受けるからです。
ヤコブ1:12
 
 学生時代、自炊していたころ
料理が好きになっていきました
 
 一生懸命勉強しても
なかなかテストの結果が出ない
だけど料理は、
ていねいに準備するほど
確実に良い結果が出る
しかも美味しくて楽しい
 
 プロの料理の世界になると
そう簡単ではありませんが
素人の自炊程度なら
 
 ああ、料理って楽しい
 
 (勉強は簡単だけど
料理がきついという人もいるかな?)
 
 頑張って着実に結果が
出るなら励みになるけど
頑張っても頑張っても
結果が出ないなんてつらい
 
 でも、結果を出している
スポーツ選手が言うには
その世界も階段を上るようなもので
長ぁいスランプがあって、
あるときスット伸びて次のレベル
そこから再びスランプ
 
 そのスランプに耐え抜くと結果がでると
 
 耐え抜いてみましょっか
私たちも
 
「なた」
 

「失敗した時に①」(「失敗した時に ②」は、ヨハネ21:4参照)
 
「私たちはみな、
多くの点で失敗をするものです。」
ヤコブ32 
 
 マイケル・ジョーダンが
CMの中で言いました。
 
 「プロのバスケットボール選手としての
経験の中で、
9千回以上のシュートを失敗している。
 300試合くらい負けている。
 26回くらいウィニング・シュートを
任されて入らなかった。
 人生で何回も何回も失敗してる。
 だから今の成功がある。」
 
うーん、と思わされました。
 
 大切なのは失敗することがあったか、
無かったかではなく、
誰でも失敗はする。
 
 その失敗をどのようにとらえるか、
神様がそのときにどのように
してくださるかを知り、
その後がどのように
生きるかの方が大切です。
 
  あなたは失敗の向こうに
あるものを見つけましたか。
 
(ヨップ)
 

へりくだる(1)
 
「神は、
高ぶる者を退け、
へりくだる者に恵みをお授けになる。」
(ヤコブ4:6)
 
 教会で「謙遜」や
「へりくだる」という言葉を
聞くことがありませんか?
 
 へりくだるってどういうことでしょうか?
 
 実は大人もよく分かっていないのです。
 
 へりくだることは、
人間にとって一番難しいことだと私は思います。
 
 へりくだることを具体的に言うと、
まず「人の話しを聴く」ことだと思います。
 
 私たちは都合の悪いことを言われると
自分の耳にふたをしてしまいます。
 
 相手を攻撃します。
 
 へりくだるとは、
それをしないで素直になって
耳を傾けることなのです。
 
 自分の力でへりくだることはできません。
 
 神さまの助けが必要です。
 
(たか)
 

へりくだる(2)
 
「主の御前でへりくだりなさい。」
(ヤコブ4:3)
 
 「謙遜」や「へりくだり」は
難しいことだと思います。
 
 でもとても大切なことです。
 
 ヤコブの手紙には
「主の御前で」と書いてあります。
 
 「へりくだる」というのは、
具体的に聖書のメッセージに
耳を傾けることです。
 
 「聖書の言葉は、
自分には関係ない、
自分には必要ない」という姿勢が、
実は「高ぶり」の正体です。
 
 人の話しを聴くだけでなく、
聖書の語りかけに耳を傾けることも、
「へりくだる」ことの具体的行動です。
 
 こころはハレルヤを読むことも、
へりくだりの表れと言えるでしょう。
 
 へりくだって、
聖書の語りかけに耳を
傾けて毎日を過ごしましょう。
 
(たか)