「大胆に…」
 
「私たちの大祭司は、
私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯されませんでしたが、
すべての点で、私たちと同じように、
試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、
また恵みをいただいて、
おりにかなった助けを受けるために、
大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」
(
へブル41516)


 イエス様は神様であり、
人間でした。私たちと同じようにこの世を生き、
悩んだり、悲しんだり、喜んだり、怒ったり、
私たちと同じように色んな事を感じられました。

 その上で、
どうしようもない心の闇を取り払う為に、
十字架に架かって下さったのです。
 私たちと同じようにこの世を生きられた神様だからこそ、
私たちの心を良く理解して、
その時々に応じて必要な助けを
与えることが出来るのです。

 私たちも、大いに楽しみ、悩み、
生きていけば良いのだと思います。

 そして、苦しむとき、悩むとき、嬉しい時、
その時々に応じて必要な慰めや励ましを頂くために、
大胆に神さまにお願いしていいのです。

 喜んで、神さまはその呼びかけを
聞いて下さると思います。

 どんな事でも、
神さまにお話ししてみましょう。
 

「意味がないような期間」
 
同級生が神学校に入る前に、
教会の先生から「教会の庭に井戸掘るように」と言われました。
 
何の意味があるの? 
 
無意味じゃないの?
 
そのような信仰のテストがあったそうです。
 
言われたようにしない、
反抗する、
意味がある時なら従う
…多くの態度があったと思います。
 
神様は「ハイ」を求められるお方です。
 
意味の無いように見えるときでも「ハイ」と言える時、
そこには「従順」という実が育ちます。
 
意味が分かってから「ハイ」と言う人もいます。
 
しかし意味が無いように見える時にも、
主の通された道と信じて「ハイ」と言える人は幸いです。
 
「従順を学び…」
へブル58
 
(ヨップ)
 

「忘れんぼうの神さま?」
 
「わたしは、
もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
(ヘブル 10:17)
 
ペンケースの中に、
「消す」ものは入っていますか。
 
消しゴム、
修正液、
修正テープ。
 
どんなスグレモノでも、
消した痕や、
直した痕は残ってしまいますね。
 
私たちの罪を、
イエスさまの十字架によって赦し、
潔めてくださった神さまは、
その罪を思い出さない、
と言ってくださいました。
 
徹底的に忘れてくださるのです。
 
私たちは、
赦す、
忘れる、
と口では言いながら、
なかなか忘れられず、
いつまでもネチネチと覚えているものです。
 
でも、神さまは、
「思い出すことはしない」
といったら「しない」御方です。
 
もっと思い切って近づいてみませんか。
 
gsh
 

『無から有』
 
「信仰によって、
サラも、
すでにその年を過ぎた身であるのに、
子を宿す力を与えられました。」
(ヘブル11:11)
 
 IGM第2回年会後の記事:
『子を産む能力がない者からでも
神を信じ仰ぐ時、業がなされる・・・たとい、
なきに等しい者であって時、
生きがいのある多くの祝福の基とせられ・・・るのが、
信仰の道、福音の道である』(蔦田二雄全集より)
こんなみじめな自分でも主を真実に仰ぐ時、
祝福の基とされるの?
 
今日、
試合で負け落ち込んでいますか?
 
勉強も人間関係もうまくいかない?
 
ゼロから生み出される神様の祝福を信じましょう!
 
自分にはないとわかった時にこそ、
神様の出番!
 
神様は必ず、
サラの如く、
信じる者に力を与え、
祝福の基とします。
 
R
 

証人たちに囲まれて
 
こういうわけで、このように多くの証人たちが、
雲のように私たちを取り巻いているのですから、
私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、
私たちの前に置かれている競走を
忍耐をもって走り続けようではありませんか。
ヘブル12:1
 
うちの教会に来た子どもたち、
礼拝と教会学校が終わったら
牧師館のパソコンの前に座って
ネット上にある
ゲームの攻略実況動画をみんなで見ています。
なるほど、ここはこうやって突破するのだと、
一生懸命覚えています。
お小遣いで攻略本まで買えないのでしょう。
 
それを考えると、
聖書に記されている信仰者の生涯は
天国への攻略ガイドかな。
 
攻略ガイドを開くと、
ラスボスに対してのレベルアップの方法や
必要なグッズがよく解説されています。
 
私たちの生涯のラスポスは「死」でしょう。
 
聖書中の信仰者たちが、
そしてイエス・キリストが、
どのようにして試練に打ち 勝ってレベルアップし
最後のラスボスにどう打ち勝ったのか
よーく研究して
信仰のレベルアップに励む。
 
聖書の中の証人たちを読むとき
そんな風に読み取ってみるのもどうでしょう。
 
「なた」
 

特効薬
 
 元気が出ない、行き詰まった、
挫折を感じた、自信喪失、
気分が落ち込んだ、
そんな時、どうしてますか?


 気分転換したり、趣味に没頭したり、
寝ちゃったり、色々方法があります。

 でも、それでも、
どうしようもない時ってありますね。

 そんな時、一番良いのが、
みことばを読むこと。

 さて、どこを読めばいいのでしょう。


 私は、どんなに落ち込んでも、
元気になる特効薬のような、
みことばを持っています。


 「信仰の創始者であり、
完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、
ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、
はずかしめをものともせずに十字架を忍び、
神の御座の右に着座されました。
あなたがたは、
罪人たちのこのような反抗
忍ばれた方のことを考えなさい。
それは、あなたがたの心が元気を失い、
疲れ果ててしまわないためです。」
ヘブル人への手紙12:2,3


 イエス様の十字架、
それを思うと、力がわいてきます。


 あなたも、
特効薬のようなみことばを持ってください。

(シロクマ)
 

「力の源」
 
「信仰の創始者であり、
完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
…それは、あなたがたの心が元気を失い、
疲れ果ててしまわないためです。」
(
へブル1223)


 楽しい毎日を過ごしていますか?

 それとも、
ちょっと疲れてしまっていますか。

 私たちは、
疲れて心が元気を失う時があります。

 落ち込んで何もしたくなくなる時や、
一生けん命やりすぎて燃え尽き、
次の事に踏み出す力がなくなってしまう…
それが私たちの現実です。

 モーセもエリヤも、
イエス様だって疲れました。

 そんな時、
どうしたら良いのでしょうか。

 ガス欠状態では、
無理やりに自分の力で
動こうとしても無理です。

 だから少し立ち止まって、
ガソリンを補充する必要があります。

 一息ついて、体を休めて、
そして私たちの力の源である
イエス様に目を向けましょう。

 私はもう疲れました。

 助けてください。

 とイエス様にすがる時、
同じように現実の中で苦しみ、
疲れ、もがいたイエス様が、
あなたを受け止めて下さいます。

 そして、十字架に架かり、
罪を打ち破ったその復活の大きな力を注いで、
私たちを立たせて下さいます。

 いつも力の源であるイエス様に
素直に助けて下さいと言える人になりたいですね。

(
アップル)
 

 
「後になると」
 
 「すべての懲らしめは、
そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、
後になると、
これによって訓練された人々に
平安な義の実を結ばせます。」
(ヘブル1211
 
 乳がんを患い
余命短い事を知るお母さんが、
まだ小学生にもならない娘に包丁を持たせ、
毎日台所に立たせました。
 
 自分が亡くなったら
お父さんと2人きりの生活となる子が、
ひとりでもお味噌汁を作る事が
できるようにする為の訓練=しつけです。
 
 まだ小さい子…と
ホヤホヤするだけでなく、
長い目で見て何が必要か、
その為には今どんな訓練を
しなければいけないかを考えての、
厳しく優しいお母さんの愛に
答えた女の子の食卓には、
自分で作ったお味噌汁が
毎日登場し続けています。
 
 今はどうして?
と思える事の中に込められていた
愛を後になって知る時、
私達の心の中にも平安が実を結びます。
 
ゆらまり
 

写生コンテスト
 
 中学時代、毎年、
全校生徒による写生大会がありました。

 各クラスで、これはと思う作品を選び、
コンテストを行いました。

 私は、二年生の時、
選ばれ銀賞を取りました。

 三年の時は、
担任に今度は金賞だなとおだてられ、
自信満々で描きました。

 薄い絵の具を何回も重ねて
淡い感じにしたて自信作でした。

 ところが、クラスメイトは
絵の具をケチっていると酷評、
クラスで選ばれることが
できませんでした。

 天狗の鼻はみごと
にへし折られたのでした。

 これでは、美術の成績は
落ちると覚悟していましたが、
成績は下がりませんでした。

 美術の先生は、
私の作品を評価してくださったのでした。


 神様は私の傲慢さに
気づかせてくださいました。

 大勢の人の目を意識するのが大切なのか、
ただ一人の方の目を意識するのが
大切なのか教えていただいたような気がします。


「すべての懲らしめは、
そのときは喜ばしいものではなく、
かえって悲しく思われるものですが、
後になると、
これによって訓練された人々に
平安な義の実を結ばせます。」
ヘブル人への手紙12:11

(シロクマ)

「変わることがない指針」
 
 
 
「イエス・キリストは、
きのうもきょうも、
いつまでも、同じです。」
(
へブル13章8節)


 
 人の評価は変わりやすいものです。

 それまで良い関係だった友達に、
次の日にはひどいことを言われる…
という経験が私にはありました。

 私って何だろう…
周りの人の声を聞いては、
自分が分からなくなってしまいます。

 良くなったり悪くなったり…
人の評価はいつだって
正しいとは限りません。

 しかし確かなものが一つだけあります。

 それはイエス・キリストです。

 「イエス・キリストは、
きのうもきょうも、
いつまでも、同じ」
(
へブル13章8節)だからです。

 私たちを愛し、
私たちの為に生まれ十字架に架かり、
よみがえったその事実は、
決して変わることはありません。

 そして、
“いつまでもあなたと共にいる”
というその約束も。

 人も環境も変わっていくものです。

 しかし、
イエス様はいつも変わりなく
私たちと一緒におられます。

 迷う時、
変わることのないイエス様にすがりましょう。

 どんなに揺れ動く嵐の中も、
イエス様にすがっていれば、
必ず光の指す岸辺に辿りつきます。

(
アップル)