他の人を尊ぶ(1)
「へりくだって互いに
人を自分よりもすぐれた者と
思いなさい。」
へりくだって、
人を自分よりも優れていると
思いなさいとこの聖書の箇所は
言っています。
これが謙遜な姿勢だと言うのです。
ただ、
人と自分を比較して優劣をつけ、
自分をいつも劣った人間だと
卑下するように、
この聖句が命じていると考えるなら、
それは大きな勘違いです。
聖書はそんなことを教えていません。
聖書が教えているのは、
自分だけでなく、
他の人も神に愛され、
尊い存在であることを認め合いなさい、
ということです。
この命令を守るスタート地点は、
キリストが私のために命を捨てたこと、
それほど私を愛している、
価値ある者としていると
理解することです。
(たか)
他の人を尊ぶ(2)
「へりくだって互いに
人を自分よりもすぐれた者と
思いなさい。」(ピリピ2:3)
神さまが自分を
どれだけ価値高く見て、
愛しているかが分かると、
へりくだって、
人を尊ぶことが
できると学びました。
自分のような者を
神さまが愛してくださっている、
という見方で
他の人のことを見ましょう。
私と同じように
神さまはその人を
愛しているのです。
そこから
「他の人をすぐれた者」
であると思うことが
出来るようになります。
イエス様が命をかけて
愛した人を私たちも
同じように大切に思い、
尊ぶのです。
そして、
そのとき、
自分を相手より下の位置に置く、
つまり、
相手の方が自分よりも
尊い存在だと認めるのです。
それがこの聖句の意味するところです。
(たか)
他の人を尊ぶ(3)
「ご自分を無にして、
仕える者の姿をとり、…」
(ピリピ2:3)
他の人を、
自分と同じように
神さまに愛されている存在、
キリストが命を捨てるほど
価値高い存在であることを認めると、
具体的にどのような行動が
生まれてくるのでしょうか。
一つは、
他の人を利用したり、
陥れようとすることを止めます。
何よりもその人に
対して誠実であろうとし、
いつも真摯な対応を
するようになります。
そういった言動から
生まれてくるのが
「仕える」という生き方です。
人に仕えることは、
自分が何者であるかが
(神さまに愛されている存在であること)分かり、
相手がどのような存在なのか
(自分よりもすぐれた存在であること)
が分かってから出てくるものです。
(たか)
「神さまの愛」
「キリストは神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
…人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われました。」
(ピリピ2勝6節~8節)
“愛”ってなんだろう
…考えたことがありますか?
家族や友達と接する時に“愛”は
重要なキーワードです。
愛=他人との関係です。
しかし傷つけたり、
傷つけられたり
…うまくいかないことが多いです。
落ち込んで、
一人でいる方がよっぽどいいと思います。
けれどどこか寂しさは残ります。
人はどこかで愛
=他人とのつながりを
求めているからです。
神様は、
そんな人間の間に
人となって来られました。
愛を求めているのにうまくいかない、
そんな私たちの心の中に。
最後には裏切られ
十字架につけられることをご存知で、
それでも私たちの心の暗やみを
照らす為に人となって来られました。
裏切られて傷つけられてもかまわない。
それであなたが本当に生きる希望
=永遠の命を得ることが出来るなら…と。
それこそが本当の愛です。
イエス様こそが本当の愛を
私たちに身をもって教えてくれたのです。
イエス様を信じる人の心には
この本当の愛が注がれています。
この心の中にある大切な愛の光を
見失わないようにしたいですね。
(アップル)
【心に住むブタちゃん】
「神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて志を立てさせて、
事を行わせてくださるのです。
すべてのことを、つぶやかず、
疑わずに行いなさい。」
ピリピ人への手紙2:13、14
「なんで、私だけこんなことしないといけないの?」
「やっぱり、こっちでなく、あっちにすればよかったぁ…」
「あぁあ!あの人みないに頭が良かったらよかったのにぃぃぃ(涙)」
私たちの心の中にはブタちゃんがいて、
いつも「ブーブー」モンクを言っているってことないかな?
イエスさまは私たちがモンクを言いたくなることをちゃんと知っておられて、
「つぶやかず、疑わずに行いなさい。
ちゃんと、
そのことをしてあげるから…」って約束してくださっています。
イエスさまを信じましょう!
待つのは大変だけど、
「心のブタちゃん」に振り回されないで、
今日もイエスさまを見上げて行きましょう!
子基 頼喜
「誇り」
『…曲がった邪悪な世代の中にあって
傷のない神の子どもとなり…』
(ピリピ2:15)
1994年W杯アメリカ大会予選最終戦。
史上初の本大会進出目前のロスタイムで失点。
長年の選手とファンの夢が
一瞬で崩れた「ドーハの悲劇」。
しかし4年後のフランス大会予選の延長戦で
悲願の本大会行きを決めた
「ジョホールバルの歓喜」以来、
日本は毎回本大会の切符を勝ち取っている。
しかし次回が約束されているわけではなく、
逆にその伝統を
切ってはいけないというプレッシャーが、
回を重ねるたびに重くのしかかる。
でも代表選手は逃げ出さず、
むしろ誇りをもって挑んでゆく。
そういう人じゃなければ代表には選ばれない。
僕達は厳しい戦いのある中で選出された
神の国の代表選手だ。
誇りを持って勝利の道を進もう。
びい
透明な存在であるボク
連続児童殺傷事件を犯した
14歳の少年が新聞社に送った
犯行声明文の中にこの一言を書いていたのが、
とても印象に残っています。
それを読んだ当時、
僕も14歳だったからです。
そして、
実は自分も
「透明な存在だ」と思っていました。
クラスの大親友から
「お前なんか、
このクラスにおってもおらんでも、
誰にも気づかれへんのとちゃう?」
と真顔で言われて、
心がズタズタになりました。
自分のことが
過小評価されていたことに、
ひどく傷つき、
それ以来、
「誰よりも認めてもらいたい。
何かで見返してやりたい。」
そんな思いでギターを
弾いていた気がします。
でも、
それから3年経った17歳の時、
等身大の自分が愛されていることを知ったのです。
それは
「キリスト・イエスを
知っていることのすばらしさ」
(ピリピ3:8)
を実感した瞬間でした。
(グッドビレッジ)
「全力疾走」
「私は・・・ただ、
この一事に励んでいます。
すなわち、
うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。」
(ピリピ 3:13,14)
体育祭や陸上大会で、
懸命に走っている姿に感動を覚えます。
オリンピックや国際的な大会をテレビを通して見るより、
ずっと力強くメッセージが伝わってきます。
ひたむきに進み、
一心に走っているからです。
ある国際記録保持者が、
短距離走で世界新記録を樹立した時、
その栄誉が讃えられると同時に、
批判・疑問の声も起こりました。
他を引き離してゴールする直前、
脇を見たのです。
なぜ彼がそうしたのかは知りませんが、
もっと記録を縮められたはずだった、
というのです。
パウロ先生にとっては、
イエスさまがすべてでした。
それ以外のものはゴミだ、
とまで思っていたのです。
そして、
神さまに栄冠をいただくために走り抜けました。
私たちの目標は何ですか。
そして、
それに向かってどのように前進していますか。
gsh
【目標に向かって!】
「キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目指して一心に入っているのです。」
ピリピ人への手紙3:14
将来の夢はなんですか?
「幼稚園の先生になりたい!」
「サッカーの選手になりたい!」
「宇宙飛行士になりたい!」なぁんて、
夢に向かってがんばっている人がいるでしょう。
夢破れて、
落ち込んでいる人もいるかな?
「何になりたいのかわからない…」
と進路のことで悩んでいる人もいるかもしれません。
でも、
聖書はこう言っています。
夢に向かって進むことも、
悩んで自分の将来を探しているのも、
全部大切な「道」だとね。
この道は私たちの生涯の終わりに
「よくやった!」と神さまから冠を頂くという目標に向かう道です。
何をしても、
この目標を見失ってしまっては全てが台無し!
今日も、
この目標に狙いを定め、
今日進むべき道を歩みましょう!
子基 頼喜
目標めざして
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。
ピリピ3:14
とあるアクション映画の一シーン
迫り来る敵の攻撃をかいくぐる
主人公の乗ったヘリコプター
上手に敵の攻撃を一つかわしたヘリの操縦士
どんなもんだいと得意になって
後ろに座っている主人公に振り返る。
まだまだ続く敵の攻撃に焦った主人公、
「俺 を見るな! 前を見ろ!」
妙に印象に残りました。
何かがうまくいって
どんなもんだいと得意になって
周りの人の反応を見たくなる
割とそういうことってありますね
けれども
他の人たちから目を離して
神さまが与えてくださる栄冠めざす
わりと大事ですよね、これって。
「なた」
マイペースでゴールを目指そう!
「・・・だた、
この一事に励んでいます。
すなわち、
うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目指して一心に走っているのです。」
(ピリピ3:13~14)
「バレエの世界に一攫千金はない。
流した汗と涙と努力の結晶だけが
栄光への道しるべだ。」
と言った人がいました。
どんな世界でも、
道を極めようとするならば、
地道に努力して進んでいくしかありません。
近道など、どこにもないですよね。
私たちは、
天国というゴールに向かって歩んでいます。
天国への道のりは遠いですが、
努力して、
時には苦労したり辛い中を通ったりして、
日々、
成長しながら進んでいます。
決して楽な道のりではありません。
ですが、
天国への道は人との競争ではないのですから、
人ではなく、
ただ神さまだけを見て、
焦らず、
自分のペースで精一杯、
神の栄冠を得るために天国を目指して進んでいきましょう!
「ぴよ」
国籍は天にあり!
「けれども、
私たちの国籍は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、
私たちは待ち望んでいます。」
ピリピ3:20
母は幼い頃から何度も何度も引越しをした人だ。
だからか「地上では旅人だから。」と言いながら、
クールに出会いと別れを繰り返す。
私はそこまでクールにはなれないけれど、
牧師になった。
インマヌエルの牧師は1年任期だ。
そんな事情を知った友人は「大変やなあ…」と言った。
「地上では旅人でも、国籍は天にあるから」と何気なく答えた。
「カッケー!!」友人の反応にちょっと驚きつつ、誇らしくもあった。
クラス替えがあったり、
進学したり、
私たちの環境は変わっていく。
どんな中を通っても、
私たちの国籍は変わらず、
天にある。
不動だ。
それが強さであり、
周りから見てカッコイイものなのだろう。
今日も、
天国人として、
カッコよくいきたい。
「おばあちゃん」
「神さまとの会話」
「何も思い煩わないで、
あらゆる場合に、
感謝をもって
ささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば、
人のすべての考えにまさる
神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。」
(ピリピ4章6・7節)
悲しい時、辛い時、
悩みがある時、
どうしていますか?
私はクリスチャンの親友に話します。
こんな事があって、
あの人にこう言われて、
私はこう思って、
そしてこれからどうしようか
…事細かに話し、
自分の思いを
ありのまま打ち明けます。
神様への祈りも同じです。
一日あった出来事を、
困っている事柄を、
抱いている感情を、
友達に話すように
ありのまま話すのです。
神様は、私たちとのそうした
自然体で親密な交流を
望んでおられます。
誰よりも近くにおられ、
その心を
良く分かって下さる神さま。
相談すれば
解決出来ない事はない方。
こんなに素晴らしい
相談相手は他にいません。
いつでもどこでも、
心の中でも、
神さまにありのままの自分の気持ちや
出来事をお話ししてみましょう。
神様があなたの
一番の親友になりたいと
願っておられるから。
(アップル)
『思い煩わないで・・・』
「何も思い煩わないで、
あらゆる場合に、
感謝をもってささげる
祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば、
人のすべての考えにまさる
神の平安が、
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。」
ピリピ4:6,7
心配が心に満ちていると、
心はざわついて、
平安がありません。
そういう時は、
何でもイエス様にお祈りしましょう。
自分でいろいろ思い描く
解決方法には限界があります。
それよりも、
神様にお委ねしたことによって
心に平安を与えていただくほうが、
もっとすばらしいと思います。
神様の平安は、
私たちの心を強くして、
心が心配で揺れ動くことから
守ってくださいます。
(かわこ)