選択
「神は私たちを世界の基の
置かれる前からキリストのうちに選び、
御前で聖く、
傷のない者にしようとされました。」
(エペソ1:4)
イエスさまの選択基準は不思議です。
天の御国で神の御子として天使に仕えられ、
何不自由なく過ごすよりも、
飼い葉おけの中に生まれ、
人々からあざけられ、
最後には十字架にかかり命を捨てる道を選ばれました。
普通では考えられませんね。
その理由はどんなに考えても、
私たちを愛しているから、
私たちを救うため以外にはありません。
すべてのものを捨てて私たちを選んでくださったイエスさま。
私たちもイエスさまを信じる道を選び続けましょう。
(than)
圧倒的(あっとうてき)
「あわれみ豊かな神は、
私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに…」
(エペソ 2:4)
「私たちは、
私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、
圧倒的な勝利者となるのです。」
(ローマ 8:32)
カトリック神父、
晴佐久昌英(はれさくまさひで)さんのエピソード。
友人たちとの間で、
地球上の砂粒の数と、
宇宙の数とでは、
どちらが多いかという議論になりました。
砂粒派は、
江ノ島海岸だけだって相当ある、
海の底にも、砂漠もある、といって、
砂粒のほうが多いと主張。
星派は、
この大宇宙をなめちゃいけない、と対抗して、
とうとう知り合いの宇宙物理学者にその場で電話をして尋ねます。
さて、専門家の答えは?
「圧倒的に、星です。
そもそも宇宙は開放系だから、可能性は無限です。
閉鎖系の地球上の数値など比較になりません」
世の中のものとは比較にならないほどの大きな愛、
そして、その愛があるから、どんなことにも勝利!
これほどまでの宇宙的、
永遠的な愛で愛されているって、
考えられる?!
* ただ、ただうれしいです。
こんなに神さまが愛してくださるので。
感謝です!
〝メガネいちば〟
うそ
「あなたがたは偽りを捨て、
おのおの隣人に対して真実を語りなさい。」
(エペソ4:25)
高校受験が近づいていたある木曜日、
校庭で友達とテレビ番組の話をしていました。
「きのうの夜、
何みた?」リーダー的な子が、
順番に聞きます。
誰も勉強していたとは言いません。
私は、
水曜日の夜、
教会の祈祷会に家族と一緒に出席していました。
それなのに、
私の頭に、
新聞のテレビ欄で見た番組が浮かんで、
その番組名を口にしてしまったのです。
瞬間、
その場が凍りつきました。
テレビ局が、
番組変更をしていたのです。
その時は、
誰も、
何も言いませんでしたが、
私のうそが、
にがい結果を生んでしまいました。
イエスさまの十字架によって
赦していただいた中の1つのです。
(ふ)
イジメられキャラとイジられキャラ
しばらく前のTVドラマ「35歳の高校生」の中で、
「いやだなあ、もう。
私はイジメられているんじゃなくて、
イジられてるんだよ。
私みたいなのがいると、
クラスみんなが安心するでしょ!」
と女子高生が口走っていたセリフが心に残っています。
あの引きつった笑顔は、
とても痛々しく映りました。
「隣人に対して真実を語る」
ことも出来ず(エペソ4:25)、
ピエロを演じるのは疲れます。
「あなたがたは偽りを捨て」
(同節)と聖書は言います。
本音でぶつかり合える人間関係が、
友だちの中の本当の彼、
彼女に出会わせてくれもし、
また本当の自分にも出会わせて
くれるのではないでしょうか。
(グッドビレッジ)