ある彫師のことば
 
 「上手な彫師の木彫りを見ていると、
その木の中にすでに造ろうとしている
作品が隠されていて、
彫っていくうちにそれが
浮き出てくるような気がする。」と、
ある彫師から聞いたことがあります。
 
 私はこの話を聞いた時、
 
『キリストが私のうちに生きておられる』
(ガラテヤ220
 
という聖句を思い出しました。
 
 人と接する時、
どんな自分が顔を出しているのか。
 
 傲慢、
辛辣(しんらつ)、
思い込みなどといった余計な部分が削られて、
『私のうちに生きておられるキリスト』
が浮き彫りにされたら
どんなに素晴らしいでしょう。
 
 イエス様を映し出すことができる
「愛の人」に変えられていきたいです。
 
(グッドビレッジ)

自立は孤立ではない
 
“自立”と聞くと、
誰の世話にもならず、
自分ひとりで何でもこなせる人を想像します。
 
 でも、
聖書は、
自立した人に
「愛をもって互いに仕えなさい」
(ガラテヤ5:13
 
 と勧めています。
 
 与えられたエネルギーを自己中心な、
「肉の働く機会としない」
ようにと警告しているのです。
 
 では具体的に
「愛をもって互いに仕える」
とはどうすることでしょう。
 
 それは
「互いに重荷を負い合う」
ことです。(同6:2)
 
 自立した人は隣人を助ける人であり、
同時に、
自分も助けが必要な時は
それを頼める人です。
 
 自分の弱さと限界を
謙虚に認めることの出来ている人こそ、
自立した人です。
 
 自立は孤立ではありません。
 
(グッドビレッジ)

自業自得(じごうじとく)
 
「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、
その刈り取りもすることになります。」
(ガラテヤ 67
 
 自業自得(じごうじとく)。
 
 自分の行い
(どちらかと言うとわるいこと)
の結果を自分の身に受ける、
という意味です。
 
 当たり前~♪
 
 (体操はしません!?)
 
 サボったり、
ムチャをしたり…
巡ってきたみじめな結末を見られて、
それをジゴウジトクと言うんだ、
なんてたしなめられて、
自分が情けなくなった経験が
よみがえってきました。
 
 聖書では、
このことが種蒔きと収穫の
関係で示されています。
 
 そこには、
2つの特徴が。
 
 一つは、
必ずしもわるいことだけを
言っているのではないということ。
 
 よい種蒔きにはよい収穫がある、と。
 
 そしてもう一つ、
そこに神さまが関わっておられること。
 
 神さまの関与がなければ、
当たり前のことができない私たち。
 
 わかってる、と言って、
神さまをかるく見てはいませんか?
 
*   神さま。
当たり前に思えることにも、
あなたの助けが必要です。
 
〝メガネいちば〟 
 

「世界の仲間」
 
「私を仲間と呼んでくれますかぁ~?」
ワンピースの中で王女ビビが、
海に去り行く麦わらの一味に叫びかけた。
 
「当たり前だ!!」と答えたかったけれど、
海賊の仲間ということが、
近くに潜む海軍の耳に入ったら、
王女の立場が危うくなる。
 
それで仲間はグッと黙ったまま、
腕に描きあった仲間のしるし
『×』マークを突き上げた。
 
音は何も聞こえないけど、
「俺達は仲間だ!」
という心の叫びが響き渡った。
 
僕達の腕に『×』マークはないけど、
心に『+』のマークが刻まれてる。
 
法律でイエス様を信じることが
禁じられている国や、
厳しい迫害の中にある世界にも、
たくさんの仲間がいることを忘れないで。
 
主の『+』を私達の誇りとして生きよう。
 
「十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」
(ガラテヤ6:14)
 
 びい