イムマヌエル綜合伝道団/教会学校課

イムマヌエル綜合伝道団 / 教会学校課

こころはハレルヤ

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なるかもしれないけどならないかもしれないから

「ですから、どう弁明するかは、
あらかじめ考えない、と
心に決めておきなさい。
…ことばと知恵を、
わたしが与えるからです。」
(ルカ21:14,15
 
 
 
心配事があると大変です。
そのことで頭がいっぱいになってしまったり、
夜も眠れない、なんていうことになったら、
ふだんの生活や働きにも
支障が出かねません。
 
 
 
もしこうなったらどうしよう、
ああなったらどうしよう・・・
そういう想像は、
ほとんどの場合悪い方へ悪い方へ向かいます。
 
 
 
でもよく考えてみましょう。
こうなったら、ああなったら、の中身は
私たちの想像に過ぎないんじゃないでしょうか。
あくまでももしの話で、
そうなる可能性があるかないかと言えば、
確かにあるけれど、
もしかしたらまったくそうはならないかもしれない。
 
 
 
イエスさまも前もって悩まなくてもいい。
その時になったら
ちゃんとできるようにしてあげるから。
と言いました。
 
 
 
自分にこの先どんなことが起こるか。
それはだれにもわかりません。
もちろんとんでもないことが
起こるかもしれない。
 
 
 
でも、神さまは
私たちがどんな場面に遭遇することになっても、
そこで必要な助けを与えて
乗り越えることができるように
してくれる方。
 
 
 
私たちが普段から神さまのみことばにふれ、
お祈りしながら歩んでいるなら、
必ずそうしてくれます。
 
 
 
だから起こらないかもしれないことについて
悩み心配するのはもうやめましょう。
「わたしが与える」と
約束してくれている
イエスさまのことばを信じましょう。

ほんとの一人ぼっちにはならないってわかってる

「恐れるな。
わたしはあなたとともにいる。
…わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
(イザヤ41:10
 
 
 
みなさんは、生まれて初めて
自分一人で外を歩いた時のことを
覚えていますか?
 
 
 
私は小学校一年生のときでした。
それまではうちの前を通って帰る
“本橋くんといっしょに帰ってたんだけど、
その日はなぜか本橋くんが
「オレは今日はこっちから帰る」って言って、
途中で曲がっていってしまったんです。
 
 
 
もう家までは角を一つ曲がればいいとこまで
来てたんだけど、
急に一人にされちゃったショック()
こわくてこわくて、
泣きながら走って帰りました
(遠い日の思い出・・・)
 
 
 
なにかあったら
本橋くんが守ってくれるとか、
まったくそういうわけじゃなかったけど、
だれかがいっしょにいるっていうのは
それだけでやっぱり安心のもと。
 
 
 
大人になれば道を歩くくらいは
一人でもなんのこわいこともないけれど、
いろんなことで「自分は一人なんだ」
と感じてしまうときは
やっぱり心細いしこわいですね。
 
 
 
でもだいじょうぶ。
私たちには神さまがいます。
 
 
 
目には見えないけれど
どんなときにもいっしょにいてくれて、
しかも守ってくれる。
いざというときもぜったいに、
私たちを置き去りにして逃げ出したりしません。
 
 
 
ほんとの一人ぼっちにはならない
ってわかってる。
だから今日も安心して過ごしましょう。

苦しみながらがんばり続けなくていい

「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。
 
…これに呼びかけよ。
その苦役は終わり、
その咎は償われている。と。」
(イザヤ40:1,2
 
 
 
ハムスターなどを飼っている
ケージの中によく入れられている回し車。
ハムスターが無心にひたすら走る姿は
とってもかわいいです。
 
 
 
とってもかわいいのはまちがいない。
けど考えたみたら、一生懸命走っても、
どこに行きつくわけでもなく、
ただ同じ場所をぐるぐるしているだけ。
だからちょっとかわいそうな感じもします。
 
 
 
まあ、ハムスター本人はむなしいとか
たぶん思っていないからいいんでしょうけど、
もしこれが人間だったら、
きっとかなり悲しい。
 
 
 
そして思います。
私たちが自分の心の問題を
自分でがんばってどうにかしようとしてるのって、
きっとこういう姿なんだろうな
 
 
 
どんなにがんばっても、
ただただ同じところを回っているだけで、
どこに行くこともできない。
そしてやがて疲れ果ててしまいます。
 
 
 
だからもうがんばらなくていいんだよ。
それが、みことばが私たちに
伝えようとしている神さまのメッセージです。
 
 
 
苦役=苦しい労働はもう必要ない。
それをしなくてもいいように
準備は全部できたから。
 
 
 
どうにもできないことなのに
どうにかせずにはいられずにがんばるって、
どんなにつらいことでしょう。
 
でも、もういいのです。
私たちに必要なことは、
力を抜いて神さまにまかせゆだねること。
 
 
 
まだ、がんばらなくちゃいけない
自分で自分の心を何とかしなくちゃいけない
と思っていませんか?
神さまのメッセージは慰めです。

できないことに使っている時間をできることに使う

「荒野と砂漠は喜び、
荒れ地は喜び踊り、
サフランのように花を咲かせる。」
(イザヤ35:1
 
 
 
こんな何もないところでは
いいことなんかあるはずがない。
私たちはよくこんなふうに思うかもしれません。
 
 
 
自分の気分が晴れないのは
この砂漠みたいな環境のせい。
あの砂漠のサソリみたいな人のせい。
サボテンみたいにとげとげした人のせい。
 
 
 
最近読んだ本の中に
こんなことが書かれていました。
「自分にはどうすることもできないことと
自分の力で変えることができることを
区別しましょう。」
 
 
 
自分にはどうすることもできないこと
とは何でしょうか。
砂漠が砂漠でなくなるようにすること。
自分が置かれている環境や
まわりにいる人たちを変えること。
 
 
 
では、自分の力で変えることができること
とは何でしょうか。
その中で自分がどういう心で過ごすか。
ということ。
 
 
 
でも、こんな気持ちじゃいけないと思っても
それもどうすることも
できないこともあるじゃないですか?
 
 
 
その通りです。
だから、私たちにできることというのは
自分で自分の気持ちを何とかすることじゃなく、
その砂漠に花を咲かせる力を持っている
神さまに心を向けること。
そして信頼すること。
 
 
 
悩んだり不平不満を言ったりする時間、
自分のできなさ加減を嘆く時間を
神さまに心を向ける時間に変える。
それなら、私たちにもできますね。
 
 
 
神さまは無から有を生み出し、
死をいのちに変える力を持っている方。
今いる場所が砂漠のようなところなら、
だからこそ神さまのパワーが発揮されます。
 
 
 
できないことに使っている時間を
できることに使う時間に。
ぜひやってみましょう。

もらいそこなったらもったいなすぎ

「それゆえ主は
あなたがたに恵みを与えようとして待ち、
それゆえ、あわれみを与えようと
立ち上がられる。
幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。」
(イザヤ30:18
 
 
 
1歳の子のヘアカットは大変です。
前髪が伸びて目に入りそう。
後ろ髪が伸びてうっとうしそう。
だから、切った方が本人も
ぜったいにすっきりして気持ちいいはず。
 
 
 
でも、よくしてあげる
という大人の意図はなかなか伝わりません。
「ほら、じっとしてて!」
と言っても、すぐに動いちゃう。
抑えようとしたりしようもんなら、
いやがって逃げようとしたりあばれたり。
 
 
 
結果、動きが止まったわずかのスキを見て、
ちょっとずつ切ることになるから、
余計な時間もかかっちゃう。
ちょっとじっとしてくれればすぐ終わるのにね。
 
 
 
私たちも神さまに対して
この1歳の子みたいな態度を
取ってしまっていることはないでしょうか。
 
 
 
神さまは私たちに恵みを与えよう、
あわれみを与えようとして待っています。
でも私たちは、あー、あれがやりたいな、
これもいいな
と自分で考えたり動き回ったりで忙しい。
 
 
 
そうやって少しもじっとしていないと、
神さまがくれようとしているものを
受け取るチャンスを逃してしまっているかも。
 
 
 
ちょっとじっとして。って言われると、
またしばりつけるわけ?
って聞こえないふりしたり、
逃げようとしたり。
 
 
 
神さまが私たちに何か悪いもの、
良くないものを与えようとして
ちょっと待って。
って言うことはぜったいにありません。
 
 
 
せっかくくれようとしている恵みやあわれみ。
それはぜったいにもらった方がいいものです。
もらいそこなったらもったいなすぎ。
 
 
 
だからぜひもらいましょう。
そのためにちょっとじっとしてみましょう。
神さまはもう待ってくれています。