イムマヌエル綜合伝道団/教会学校課

イムマヌエル綜合伝道団 / 教会学校課

こころはハレルヤ

心配なく近づけてお願いできる

「今は、神が御子の肉のからだにおいて
 
…あなたがたをご自分と
和解させてくださいました。
あなたがたを聖なる者、傷のない者、
責められるところのない者として
御前に立たせるためです。」
(コロサイ1:22
 
 
 
“共演NG”なんていうことばが
あるようです。
役者さんやタレントさんなどが、
あの人と同じ番組には出たくない。
っていうやつですね。
 
 
 
そうなる原因は、
前に共演したときに
お互いにか一方的にかはわからないけど、
もう二度といっしょにはやりたくないと思う
何かがあったということでしょう。
 
 
 
役者さん、タレントさんについて
どうこう言うつもりはないけれど、
周囲もいろいろ気を遣わなくちゃならなくて
大変だろうなと思います。
 
 
 
そもそも
あの人といっしょだと気まずい
目をまともに見られない、見たくない
という相手がいるというのは、
自分にとっても
決して気分がいいことではありません。
 
 
 
でも私たちにとって神さまは、
そういう存在になってしまっていた。
と聖書は言っています。
それは私たちの方がやらかしてしまったから。
 
 
 
神さまから永遠に共演NGと言われても
仕方がない状況だったけど、
それはいのちの源であるお方から
切り離されてしまうということ。
私たちにとってとっても困ることです。
 
 
 
でもやられた神さまの方が
私たちとの共演NGを解消しようとしてくれました。
そしてイエスさまが来てくれたのです。
 
 
 
だから今私たちは
何もなかったように平気な顔で
神さまに近づけるしお願いできるのです。
 
 
 
今日も心配なく近づけます。
お願いもできます。
感謝ですね
 

ほんとうに変えることができるのは

「これらの定めは
知恵のあることのように見えますが、
何の価値もなく、
肉を満足させるだけです。」
(コロサイ2:23
 
 
 
自分を変えたい。変わりたい。
と願っている人はたくさんいるでしょう。
そのせいか、ちょっと見回すと
“自己啓発○○“的なものが
たくさんあります。
 
 
 
瞑想。とか、占い。とか、
こういう食生活。とか。
断捨離もその一部?
これをやれば自分を変えられる
というのが宣伝文句。
 
 
 
確かにしばらくは
少し気分が変わったり、
新しくなれたような気がすることも
あるかもしれません。
 
 
 
これだけのことをしたから。
というのは、わかりやすいし、
いかにも効き目がありそうに聞こえる。
それなりのやった感もあるでしょう。
 
 
 
でもそれで私たちの心が
ほんとうに変わるかというと
残念だけどそうじゃありません。
 
 
 
私たちの心は
自分がこれだけのことをした
ということでは変わらないし、
自分の決心で変えられるものでもないのです。
 
 
 
それがができるのは神さまだけ。
だからほんとうに変わりたいなら
神さまにつながる。
それしかありません。
 
 
 
でも、信頼するだけなんて
目に見えなくて頼りなくない?
確かにそうかもしれませんね。
 
 
 
信じるかどうかは私たちしだい。
でも信じれば
結果は必ずついてきます。
私たちが信じることを選べますように。
 

 飽くなき欲求には気をつけよう!

 
 「・・・そしてむさぼりを
殺してしまいなさい。
このむさぼりが、
そのまま偶像礼拝なのです。」
 (コロサイ3:5
 
 偶像礼拝というと、
私たちはどうしても
形のあるものを拝む・・・と思いがちです。
 
 たとえば、
稲荷神社の狐とか、
道案内の道祖神とか、
地蔵を拝んだり、
お天道さんと言って
太陽を拝んだり・・・、
私たちの周りにはたくさんの
偶像がありますね。
 
 数えていったら
切りがないかもしれません。
 
 でも気をつけなければならないのは、
偶像礼拝はなにも
形のあるものを拝むだけではないのです。
 
 飽くなき欲求も偶像礼拝の一つ。
 
 例えば、
プライドや権力、
趣味とか特技とか、
お金もそうだし、
食欲だってそう。
 
 もっともっと!
と執着して追い求める
思いがむさぼりにつながって、
知らないうちにそのことだけに夢中になり、
神さまなんて
そっちのけになってしまうものがそう。
 
 たとえば、
日曜日の礼拝をさぼって、
他のことに時間を費やすこともそう。
 
 もしかして、
覚えがあったりして・・・。
 
 むさぼりという
偶像礼拝に入り込まないために、
自分の弱点を知っておくことは
非常に大切です。
 
 神さまを第一にして
生活することができないものがあったら、
それがむさぼりです。
 
 神様より大事なものが
自分の中にあるかないか、
よく吟味して知っておくこと。
 
 それが発見できたら、
神さまの助けを頂いて
捨て去ることをお勧めします!
 
「ぴよ」