「神様のラブレター」
「あなたに命じたすべての律法を守り行え。
これを離れて右にも左にもそれてはならない。
それは、
あなたが行くところではどこででも、
あなたが栄えるためである。」
(ヨシュア1:7)
IGMは、
聖書のおことば=神様のおことばを
信じてそれに従う群れです。
「神は律法を離れては
福音を示されなかった。
律法を無視して愛だけを
強調することは警戒が必要(初代総理)」
小さな子でも何でも許したら混乱し、
悪いことをするために幸せになれません。
この聖句も主が愛する者に与えられた律法を守り、
実行することが祝福の道だと教えています。
そのために神様のラブレター:聖書をぜひ、
毎日お読みください。
今日も愛する主が特別に語りたく願い、
あなたを待っておられます!
(R)
「傘」
「この律法の書を、
あなたの口から離さず、
昼も夜もそれを口ずさまなければならない。
そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。」
(ヨシュア1:8)
学校に行く時間に雨がふっていなくても、
空模様があやしかったり、
帰宅時に雨の予報があったりすると、
「傘、持った?」の声がかかります。
面倒くさいなぁって思いますよね。
折りたたみ式ならまだしも、
長くて、
手がふさがって、
厄介ですよね。
いつもいつも持ち続けているって結構大変です。
かといって、
いざという時、
やっぱり持っていないと困ります。
みことばをいつもいつも心の中に持ち続けるって、
今すぐには役に立たないと思えることがあります。
面倒だな、
とか無駄だな、
と感じるかもしれません。
でもね、
心の片隅でもいいから、
持ち続けましょう。
必ず、
あなたの力になる時が来ますから。
gsh
いつの間にかいなくなったりしない
「強くあれ。雄々しくあれ。
恐れてはならない。
おののいてはならない。
あなたが行くところどこででも、
あなたの神、主が
あなたとともにおられるのだから。」
(ヨシュア1:9)
いつも行くスーパーが
妙に混んでいる。
人だかりがしているコーナーがある。
行列ができている。…
そんなときはすぐわかります。
あ~、何かを
すごく安く売ってるんだね。
どこでかぎつけるかびっくりするくらい、
自分が得をするとなれば
人は自分から集まってくる。
でも何の得もないとなったら
どうでしょう。
あっという間に引いて行ってしまいます。
うまくいっている間は
集まってきていた“友だち”が
自分が大変になったとたんに
ぜんぜん近づいてこなくなった・・・
いつの間にかいなくなった・・・
なんていうつらい経験をしたことがある人も
いるかもしれません。
そういう時にも去って行かないで
そばにいてくれる。
そういう人こそほんとうの友だち。
神さまが私たちが行くところ
「どこででも」ともにいてくれる
というのはまさにそういうこと。
うまくいってる時だけが
神さまがいっしょにいてくれる時
ではありません。
どんなに大変なことが起こっても、
去ってしまうことなく
ずっとそこにいてくれる。それが神さま。
今日もあなたが
どんなところに行ったとしても、
行かなくちゃいけなくなったとしても
神さまはそこでともにいてくれます。
ぜったいにいつの間にかいなくなったりしません。
だからだいじょうぶ。
未知の場所でも安心して
「あなたがたの神、主の契約の箱を見、
…その後を進みなさい。
あなたがたが行くべき道を
知るためである。
あなたがたは今まで
この道を通ったことがないからだ。」
(ヨシュア3:3,4)
初めての場所。
今はナビがあるので、
たどり着けるかどうかを
心配する人は
あまりいないかもしれません。
徒歩でスマホナビならまあOK。
でも車でとなると、
少し話はちがってきます。
今ってあちこちで
どんどん道が新しくなってるけど、
ナビはそのナビが作られたときの情報で
できている。
アップデートされてないナビって、
けっこう困りもの。
大都会に行くと車線がたくさんあるけど、
どの車線にいればいいのかまで
教えてくれないナビも
けっこうある。
それってけっこうハラハラ。
などなど、完全に当てにはできないね
と思うことがけっこうあります。
やっぱりいちばんいいのは、
その町をよく知ってる人に
教えてもらうこと。
自分が初めてでも安心して運転できます。
私たちの人生にも
初めてがけっこうありますね。
そもそも「明日」だって
わかってるような気がしてるけど
実は何があるかわからない未知の場所。
その初めての場所のどこをどう通れば
天国っていう目的地に
ちゃんと行きつくことができるか。
それをいちばんよく知っているのは
神さまです。
今日も未知の1日だけれど、
教えてほしいという心でお祈りしながら
神さまから目を離さないようにして歩けば
だいじょうぶ。
道をまちがえないように
ちゃんと導いてくれます。
だから神さまがやってくれる
「あなたがたの神、主が、
…あなたがたのために
ヨルダン川の水を涸らしてくださったからだ。
このことは、あなたがたの神、主が
葦の海になさったこと…と同じである。」
(ヨシュア4:23)
イスラエルの人たちが
エジプトという罪の世界から
救い出されるとき。
神さまの約束の地であるカナンに入るとき。
共通点は、
ふつうに考えたら越えるのが不可能な
水があったということです。
でも両方とも
神さまがその水を
イスラエルの人たちが渡る間だけ
涸らしてくれました。
だから普通の道を歩くように
渡ることができたのです。
この出来事は
私たちが自分の心の問題と
向き合う時に起こることを表しています。
自分の心の問題。
それは知れば知るほど
自分の力やがんばりではどうにもならない。
これをどうにかすることなんて
とてもできない。
と感じさせられるものです。
真剣にがんばるほど
失敗を積み重ねることになり、
やがて疲れ果ててしまうでしょう。
だから神さまがやってくれる。
それが今日のみことばが
私たちに教えてくれていることです。
私たちが言われたとおりにするなら、
神さまは、とても渡れないと思える
その水を涸らして
私たちが通れるようにしてくれるのです。
私たちはただ進んで行けばいいだけ。
これだけはムリだと思っている
課題がもしあるなら、
それを越えさせてくれるのは神さまなんだ
ということを思い出しましょう。
水のこちら側は
敗北感にやられ続けるつらい生活。
でも神さまは私たちをそこから
脱出させることができるのです。
脱出させてくれるのです。
「恐れでなく畏れ」
「あなたの足のはきものを脱げ。
あなたの立っている場所は
聖なる所である。」
《ヨシュア記15:15》
大学生のとき、
タイに行きました。
訪れる寺院、
寺院で、すべて入り口の所に
“take your shoes off !”
と書かれていました。
その当時、
出席していた教会は
土足だったので、
何か新鮮な感じがして、
あっそうか、
と教えられる気がしました。
ヨシュアはそれと知らずに、
主の軍の将の前に立っていました。
このように命じられると、
大慌てで靴を脱ぎ、
その御方の前にひれ伏したのです。
私たちも、
神様の前に立っていながら、
それと気づかないで、
土足でそこを踏みにじっていることが
ないでしょうか。
神様に、
恐れでなく、
畏れ敬う心を持って近づく。
これはとっても大切なことです。
私たちの今日一日の歩みが、
神様の御前をしっかりと
歩むものでありますように。
『ジョン』
やる気本気の祝福のことば
「主がイスラエルの家に告げられた
良いことは、
一つもたがわず、すべて実現した。」
(ヨシュア21:45)
「遊園地に行きた~い。
連れてって!」
「今日は忙しいからまたいつかね」
「いっしょに遊ぼう!」
「今忙しいからまた今度ね」
ちっちゃい子とお父さんお母さんの
あるあるの会話。
そしてまたいつかの「いつか」、
また今度の「今度」はなかなか来ない…
っていうのもあるある。
それがあんまり積み重なると、
どうせまた口ばっかり。
って不信感が生まれて
約束の重みもなくなってしまいます。
人と人の間では、
いつかね。今度ね。と約束するけれど、
ほんとうはできない。
ほんとうにやる気はない。
そういう約束がけっこうあります😢。
でも神さまはちがいます。
神さまがほんとうはできないこと、
ほんとうにやる気がないことを
口にすることは決してありません。
神さまがいったんやるといったら
必ずやる。
そして、やれる力を持っている。
それが神さまです。
だから私たちは
みことばに書いてあることを
そのまま受け取れる。
神さまのやる気本気の祝福のことば。
それから言ったとおり
っていうことは、
自分にとっていいことだけじゃない。
神さまがだめだよ。
って言ってることは、
あくまでだめ。ってことも忘れずに。